謹賀新年

 あけましておめでとうございます。2009年の始まりです。
 年を取るとともに今まで見えなかったことが見えてくるようになりました。
これを読んで下さっている方の中にはゆきたんくよりも目上の方もいらっしゃるでしょうから、「お前、いちいちそんなことを言うな!」と怒られてしまいそうです。
 しかし、自分にとっては人生で初めて感じることでもありますのでスルーさせていただきます(謝)
 今述べたことは、精神的なことです。
 精神的には可能でも物理的には無理なことはあるもので、それは環境の変化を待たなくてはいけない場合もあります。
 それが可能になったことを知ったのが先日の年の瀬も迫った12月28日。友人のF氏と袋田の滝に行った時のことです。

 昨年の9月13日にオープンした新観瀑台の一番上り第3デッキからの写真で、旧観瀑台よりも51m高い位置にあります。

 別名四度の滝と呼ばれる袋田の滝は、その昔西行法師が「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない季節ごとにその表情を変える。」と言われたので、そう呼ばれるとばかり思っていました。

 今回訪れるに当たって下調べをしたら「滝川が4段に岩肌を落ちることから名づけられたとされる」説を見つけました。

 西行法師の時代には、観瀑台やトンネルはありませんでした。きっと付近の高台から見たに違い有りません。同じように同じ場所から見た地元の方々もいたことでしょう。その人たちが滝の表情について思い思いのことを考えたり、言ったり、伝えたりしたことでしょう。そのうちの納得できる二つが現代まで言い伝えられてきたのだと思います。
 便利になった現代、与えられた環境(観瀑台やトンネルを使って)によって得た情報がそのものを表すのだと、思っている場合があります。しかし、それは正解であって、不正解でもある。角度を変えて見れば新しいものが見えてくるに違いないことを、今回の袋田の滝が教えてくれました。自分の目で見ることで、「四度の滝」のもう一つの意味がはっきりと分かったからです。
 人生の視覚の中にも同様なことはたくさんあることでしょう。今までの自分の見識のみで物事を推し量るだけではなく、自分が積極的に動くことで物事を見る角度を変え(待つのではなく、積極的な環境の変化)、新しい魅力に気づくことが大切ではないかと思うのです。それが四度なのか、それ以上なのかは神のみぞ知る訳ですから、「その時の納得」ができるまで続けようと思います。

 下に高い観瀑台から見た滝の動画があります。
短日      2009謹賀新年      衣更着
旧観瀑台から見た滝、一部が凍っている。

観光客の話声が入っていますが悪しからず