写真は茨城県の美浦村の霞ヶ浦湖畔である。ヨットが一艘のどかに泳いでいるが、ここはかつての鹿島航空隊があった所。神奈川県の横須賀で誕生した予科練(海軍飛行予科練習生、即ち、少年航空兵)が昭和14年に移ってきた場所である。 写真の手前は水上機の訓練基地があった所で、ヨットの手前に見えるコンクリートの湖岸は緩やかな傾斜になっていて水上機の発着に関係があったようだ。もっともここから南に行ったところには水上機発進用のカタパルトも残っている。 この写真を撮った日は2月10日で暖冬とはいえまだ寒い時、時刻は17時過ぎで冷え始めた頃でもある。更に暖かくなり、夏を迎えると花の代わりにビーチパラソルが咲く遊泳場となるのだ。 今、ちょっとしたことでも目くじらを立てる世の中になっている。国旗の問題、教育の問題、年金の問題。しかし考えてみると、そのようなことを論ずることができるのも平和であるからだろう。平和というのは一見良いようであるが最大のデメリットは"ゆとり"の名の下に無駄に暇な時間ができたことではないだろうか。 ここで余暇を楽しむ(取材に来た自分も含めて)者たちが、かつてこの場所のことを知っているのだろうか。二十歳前後の少年兵が、自分を国のために捧げることを目標に「優れた搭乗員としての人間形成と鉄石の訓練」に明け暮れた場所であることを…。 水上機が様々な方向に向けて発進することがでるように作られたカタパルト(円形にビスが残っている。対空機関砲の台座跡とよく間違われるようだ。)近くも遊泳者にとっては海を見るのに、とっておきの場所となる。自分にとって都合が良ければその存在が悪とは思わないのである。(自分も含めて) 誤解を招くことのないようにもう一言。遊泳者が悪いと言っているのではない。自分がいたずらに戦争に興味を持っている訳でもない。小さなことに目くじらをたてるのではなく、良いこと悪いことを含めて日本の歴史を見直す必要があるのではないと思うのである。先人に思いを馳せることが未来を見るのに必要な眼力を育ててくれるのではないだろうか。 |
弐月 参月 思月 |