さて、9月になりました。 なんと暑い夏だったのでしょうか。 連日の猛暑は体にこたえたことと思います。 そんな暑さから逃げようと、女房のリクエストでトルコ共和国に行ってまいりました。 初めて訪れる国であること。 ヨーロッパとアジアの架け橋のような国であること。 わくわくする気持ちが久しぶりに体を震わしました。 |
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写真はトロイ遺跡の「トロイの木馬」の前で記念撮影です。 シュリーマンの信念が発掘した遺構で有名です。 ゆきたんくは残念ながら「トロイ」という言葉は頭典片隅に埋もれていました。 コンピュータをいじるようになって、「トロイの木馬」ウィルスを知り、そう言えばずっと昔に聞いたような・・・ そう。本当に麩―勉強な男です。 神話上の都市の実在を証明し、その後の考古学の発掘に繋がったのであります。 |
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写真は勝利の女神ニケです。 エフェス遺跡の中におられます 世界的スポーツメーカー「ナイキ」の社名はこの女神に由来するそうです。 この日は日本の群馬で41.8℃の最高気温新記録というニュースを聞きました。 ここは日陰はめっぽう涼しいのですが、日なたは上からの日差しを日傘で防ぐ意味がありませんでした。歩く場所が大理石でできているので照り返しが凄いのです。そして記録した気温が42℃。初めて体験する気温でした。 そんな中も見どころはたくさん、〆の部分はここでした。 |
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「エフェソス古代劇場」です。 遺構の中心部にはあらず、この場所の観光の〆の場所にあるのは何か違和感が遭ったのですが、ガイドさんの話に納得しました。 この場所から西側にはエーゲ海があり、船着き場から上陸して当時の港湾都市エフェソスに向かって歩いてきた時に、まず目に入るのがこの劇場ということでした。地図で確認すると、海岸からは離れているが、それは土砂の堆積によるもので、当時の人達は都市に着くなりこの光景が目に入ったのだとのことです。 紀元前6世紀の新石器時代には人が澄んでいた地域とされています。 |
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そんな暑い中でしたので、早く宿で休みたい・・・ そして着いたのがカッパドキアのかつての洞窟を活用したホテルでした。 そう岩盤をくりぬいて作った当時のスペースがホテルの部屋になっているのです。 写真に写っているのは寝室ですが、このほか、いわゆるリビングやトイレ・シャワー室タイプの部分も個性的でした。 |
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そしてカッパドキアには連泊し、地下都市に行ったり、奇岩を観たり、野外博物館に行ったりと盛りだくさんでした。写真を選ぶのが大変なので、バスからの窓観光で撮った写真を載せます。出っ張っているのは「ウチヒサール城」です。その下に広がるのは日本風にいうと城下町でしょうか。全体的に岩盤を繰り抜いて作ったようにも見えますが、GMapで確認すると、城に当たる部分以外の建物はレンガを作って組まれています。カッパドキアというとこのような岩盤繰り抜きが特徴と言えるでしょう。日本でも埼玉県松山市の「吉見百穴」が同様の仕組みに見えます。 | ||
8月 | 9月 | 10月 |
今回の旅は、イスタンブールから南下し、東へ移動しながら遺構を見学し、東の方からは空路でイスタンブールに戻り、市内観光やクルーズと贅沢な内容でした。 イスタンブールでは、上写真のブルーモスクに入りました。 ここでは女性はヒジャーブ(かぶりもの)をしないと入れませんでした。特に宗教に関するルールについては海外は厳しいものがあります。 美しい装飾に目を奪われました。ずっとみていたいくらいでしたが、ここは祈りの場、祈りを目的にきている方々の邪魔をしてはいけませんね。 |
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これはトプカプ宮殿です。 装飾等は豪華なのですが、人を囲う場所だったためか内部が狭くてゆきたんくには息苦しかったですね。そこから解放された気分になったのが写真の場所です。です。右上にみえる建物部分には、ここから出ることのできない女性がたくさんいたとのことでした。 |
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写真はイスタンブールの地下宮殿です。 ライトアップ等工夫されていて楽しめました。 この写真についてはライトアップされたメドゥーサがありました。 随分と昔からあったそうですが、水資源に乏しかったコンスタンティノープル(イスタンブール)に大都市の水を賄うために水資源として7000人もの労働者に造らせたといいます。 メデューサはこの地下水を守る魔除けとして置かれたそうです。 長い歴史を誇るトルコの旅は、再訪が必要な感じがします。 |