長月  
 9月になります。
 コロナ前ほど、活発に出て歩くことはできません。と言いながら8月初旬に広島に行ってまいりました。
 これまで3回出かけました。戦争遺跡をはじめ、広島の名物、世界遺産など見どころ豊かな広島に4回目のお出かけでした。
 行っては見たけれども、触れ方が薄かった部分に焦点を当てた今回の旅でした。
 前回は大和博物館を十分に見てきました。
ただ、その生まれ故郷については下調べもせず、上写真の場所は江田島へ行くための通り道でしかありませんでした。
 今回はじっくりと、陸(この写真を取った場所)、海から、丘からとグーグルマップの上では、赤さび色の
魅力的なエリアに触れてまいりました。
 大和の誕生の地は、赤さびエリアの手前にあります。
 今回、「呉湾艦船巡り」でこの景色を見ることができました。
実際には、この角度でこの方向で見ることは不可能です。グーグルさんから借りてまいりました。
 このような形で、かつての遺構が遺されるというのは本当に貴重なことであります。ゆきたんくは戦争賛成者ではありません。戦争で亡くなった方々のこと、そのご家族の悲惨な生活のことがよく取り上げられます。しかし、その時に闘った方々がいらっしゃらなかったらという話を聞いたことはあまりありません。それどころか負の形で伝えられていることも聞いたことがあります。
 写真は、旧海軍工廠本部前護岸で「あれいからすこじま」という名前がついています。ふーん、「からすこ」じまと思っていました。
 あれいというのは、「alley」と書いて路地のことです。
からすのいる小島の路地のことを
「あれいからすこじま」と名付けたのだそうです。
島の名前ではなかったのですね。もっともここの地形は島ではありませんが・・・
 長崎港には「ジャイアント・カンチレバークレーン」という113歳になるおじいさんクレーンがいました。未だ現役の世界遺産です。
 ここ広島にもクレーンはいました。ここにいたのはやはり100歳越えの111歳のおじいさんクレーンです。その名も「魚雷積載用クレーン」。故郷はジャイアントさんと同じ英国です。旧海軍で活躍し、奇跡的に戦火を免れ、引退してモニュメントとして余生を過ごしています。近くに寄らなければ、見逃したものもたくさんあったのでした。事実前回の旅では、江田島への移動の際、道路左側にあったレンガ倉庫に目を奪われています。その反対側におじいさんはいたのでした。グーグルさんから借りた赤さび地域。
工場萌えの方々にとってはたまらない景色かもしれません。
 また行かないといけないと思っています。
8月 9月 10月