年が明けて,あっというの間に1か月が過ぎてしまいました。
相変わらず足が不調のゆきたんくですが,少しずつですが良くなってきています。しっかりとケアを続けています。というよりもゆきたんくにはそう感じました。 そんなゆきたんくを可哀想に思ってか,12月末に松代に一緒に行った友人がまた連れ出してくれました。 それはゆきたんくにとっても宿題の「銚子市の戦争遺跡」でした。 一番のお目当ては「震洋」の格納庫でした。大戦時に神風特別攻撃隊よりも半年以上前に,開発が完了していたという特攻兵器でした。 今回ゆきたんくが宿題の1つにしたのは,千葉県飯沼(銚子市)の第139震洋隊の格納庫です。12年前に管理されている地元の水産加工会社のご主人に撮らせていただいた写真の出来も満足できるものではありませんでした。 今回じっくりと撮らせていただき,レタッチしてみました。 |
||
入り口は12年前と変わっていませんでした。 | ||
これが格納庫の内部です。 | ||
デティールがはっきりと見えること。そして電気関係の配線跡が天井付近に並んでいるのも確認できました。もっとも水産会社の八木さんのご説明があったからです。溜まっている地下水も澄んでいて,沈んでいる物もはっきりと見ることができました。八木さんが小さい頃は,この中に入って遊んでいたといいます。平成17年位に埋め戻しにより,ほとんどの壕が姿を消していく中で,ここを個人的に管理して残して下さるのはありがたいことです。入り口に網を張っても1枚目の写真のように勝手に破いて中に入ろうとする者もいるようです。 | ||
1月 | 2月 | 3月 |
機銃掃射の跡が残る飯沼観音の大仏様。 | ||
飯沼観音の横にある機銃掃射跡の残る銚港神社の鳥居。2006.12.25撮影 現在は平成26年4月に再建された鳥居が立っている。 |
||
戦後70年ということで立て替えられたのであろう。 この鳥居は補強されている部分も確かにあった。 参拝される方の安全を考えてのことかもしれない。 ただ非常に貴重な歴史の証人でもあるのだ。 長崎では原爆によって片足を吹き飛ばされた「1本足鳥居」がそのままの形で遺されている。 今回訪れた機銃掃射跡がたくさん残っていた藤塚墓地もたくさんの墓石が新しいものに建て替えられていた。もっとも,倒れたままの墓石もあったので,2011年の東北太平洋沖地震によるものではないかと考えた。倒れている墓石を元に位置に戻すよりも新しくしようという方がいらっしゃっても不思議ではない。 |
||
ゆきたんくの記憶に残っていた墓石を訪ねた。そこにあった。機銃掃射の跡も残っていた。〇〇家の名前も覚えていたゆきたんくである。写真を撮らせていただいてありがとうございます。 |