亥年  新年あけましておめでとうございます
長國寺 → Map
 2019年を迎えました。
 今年も「幸たんく」をよろしくお願い申し上げます。

 写真は,長野県松代にある長國寺です。
 JR長野駅から車で30分弱の所にある真田家の菩提寺です。

 駅から寺までの間には,「川中島古戦場」,「松代城」,「真田宝物館」があり,足を南に伸ばせば,大戦末期に造営された「松代大本営象山地下壕」や佐久間象山に縁のある史跡が点在しています。
 昨年末,友達の勧めで長野に旅行をしました。
 一番のめあては大本営でしたが,2004年に長國寺に行ったことを思い出し,再訪することにしました。
 初代から4代までの霊屋も有名ですが,ゆきたんくのここでのめあては真田家の墓所でした。(初代と4代は長國寺裏手に,3代の霊屋は開山堂として本堂裏手に,2代の霊屋は約3km離れた林正寺の本堂として現存しています。)
 
 ゆきたんくの本名は幸弘と言います。
 それをつけてくれたのは,ゆきたんくの父親が若い頃,洗濯屋の修行をしていた時に通っていた近くのお寿司屋さんの親父さんでした。
 そして,その親父さんは真田氏のファンで,真田十勇士などのフィクションものではなく真田家の存亡そのものに興味があったようです。
 その中で,真田家の藩政改革が上手くいかなかった時に第6代藩主となった幸弘公が藩政改革に成功し真田家を立て直したことが気に入り,ゆきたんくの名前にしたということです。
 その後,真田家は8代の幸貫公の時に,佐久間象山先生を始めとする有能な人材を登用し,藩での人材育成を行いました。この佐久間象山先生が影響を与えたお弟子さんには坂本龍馬先生や吉田松陰先生がいます。坂本龍馬戦線の活躍は誰もが知っているところでしょう。吉田松陰先生の松下村塾(かつて自分が学んだ叔父の塾の名を引き継いだ)で,その後の日本を動かすことになる人材の教育に当たることになったのも,佐久間象山先生がいたからと思います。
 こじつけではありますが,真田幸弘公が松代藩を立て直したことがその後の日本の動向に影響を与えたのでは思うと自分の名前に重みが出てくるではありませんか。
 小物のゆきたんくはそれ位喜んでもよいではないでしょうか。
 余談ではありますが,ゆきたんくの母校,品川区立伊藤中学校(現伊藤学園…先輩の歌手・郷ひろみ氏,そして真田を芸名にした俳優・真田広之氏…ゆきたんくの隣のクラスにいました。)の伊藤は,初代内閣総理大臣の伊藤博文公が番晩年過ごした場所が伊藤町(現西大井)になったことに由来するものだそうです。墓所も西大井にあります。そして,伊藤博文公は吉田松陰先生の弟子でありました。
松代藩6代藩主 幸弘公の供養塔。 → Map
12月 1月 2月
 松下村塾
 龍馬の起こした日本最初の会社とも言われる「亀山社中」跡
品川区西大井の伊藤家墓所にある伊藤博文公の銅像。 → Map