4号棟

 さあまずは4号棟である。
 窓には「一般展示・絶滅」とあった。
 直訳です。
 「過去を思い出さない者は、それを繰り返す運命にある」ジョージ・バンタヤナ
 この地図は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが占領下のヨーロッパ全土から人々をアウシュヴィッツ(ドイツ語名)へ移送した経路を示している。
 グーグルレンズさんの力をお借りして、直訳した地図である。
 当時のストーブか、イミテーションか・・・
 大量虐殺についての直訳です。
 「アウシュヴィッツはドイツ最大のナチス強制収容所であり、1942年からユダヤ人の大量虐殺が行われた場所です。1940年から1945年にかけて、ナチスは少なくとも130万人をアウシュヴィッツに移送しました。
ユダヤ人110万人、
ポーランド人14万人から15万人、
ローマ人2万3千人、
ソ連軍捕虜1万5千人
その他の国籍の捕虜2万5千人。そのうち110万人がアウシュヴィッツで亡くなりました。犠牲者の約90%はユダヤ人で、そのほとんどはSS(ナチス・ドイツ)によってガス室で殺害されました。

とある。もっともボーランド人のガイドさんの話では、実際の数とは辻褄が合わないところがあるのだとか。
 上写真と、その上部を拡大した左写真である。
この透明な容器の中には、犠牲者の遺灰が入れられているということだった。
 直訳です。
 「ユダヤ人は完全に絶滅させなければならない人種である。
ハンス・フランク 1944年
/ナチス占領下のポーランド総督
 直訳です。
 「我々はドイツ国民をポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ジプシーから解放しなければならない。
オットー・ティーラック/第三帝国法務大臣/
 窓の外に目をやり、気持ちを和らげる。
 これからの6枚は、連行される人々の様子を写真と解説で示したものだ。
 直訳です。
 「1940年6月 ポーランド人の移送開始。ナチスは14万人から15万人のポーランド人捕虜をアウシュビッツに送り、その半数が収容所で死亡しました。
1941年6月 他国籍の捕虜2万5千人の移送開始。その約半数が収容所で死亡しました。
 1941年夏 ソ連軍捕虜1万5千人の移送開始。その多くが命を落とし、生き残ったのはわずかでした。
 1942年3月 ユダヤ人110万人の大量移送開始。
アウシュヴィッツは二つの機能を果たすようになりました。一つは、強制収容所でありながら、ナチスによる史上最大の大量虐殺であるホロコーストの現場となったことです。移送された約100万人のユダヤ人がSSによって殺害され、主にガス室で殺害されました。
 1943年2月 2万3000人のロマの移送が始まり、そのうち2万1000人が死亡しました。
 直訳です。
 「KÓW(ポーランド人を含む)
1940年6月14日時点での人数。ザモイシュ地方におけるポーランド人人口の爆発的増加(1942~1943年、ドイツ人入植者を意図して)。
 ヨヴィエツキー戦争捕虜(ソ連占領地域、1941年)。ソ連のドイツ占領地域におけるソ連軍捕虜(1941年)。
アウシュヴィッツへの移送(占領地域からのロマ人の蜂起)ポーランド - スルコヴィツェ(1943年、ロマ語で「アンドリホ」と発音)。占領下ポーランドからのローマ人追放、スルコヴィツェ(アンドリホ)1943年。
ヴィラウシュミッツに移送されたユダヤ人の数 アウシュヴィッツに移送されたユダヤ人の数
。」
 直訳です。
 「アウシュヴィッツに移送されたユダヤ人の推定数:
43万人
ハンガリーから30万人
ポーランドから6万9千人
フランスから6万人
オランダから5万5千人
ギリシャから4万6千人
ボヘミア・モラビア保護領から2万7千人
スロバキアから2万3千人
ベルギーから1万人
オーストリアとドイツから7,500人
ユーゴスラビアから690人・・・
 モノクロームとはいえ、生々しく伝わってきた。ヨーロッパはカトリックが多い。これらの歴史を「負の遺産」として受け止め、忘れてならないという気概が伝わってくる。
 囚人が逃げられないように、収容所は高圧電流を流した有刺鉄線が張られている。
 精神的に追い詰められ、電流による自殺を測った収容者もいたそうだ。
 気持ちを和らげるつもりれで外を覗いたが、有刺鉄線が目に入り、また緊張が、、、
 「3 死の道」とある。
 ハンガリーからユダヤ人の到着。
 これもハンガリーからのユダヤ人の到着シーンである。
 アウシュヴィッツII-ビルケナウ 1944年、選考前ノ囚人たち。
 KLアウシュヴィッツII-ビルケナウ1944。選抜準備に入った。
 アウシュヴィッツ II-ビルケナウ 1944年、ハンガリーから移送されたユダヤ人の選別
 クラウシュヴィッツII-ビルケナウ 1944年、死への道。
 アウシュヴィッツII-ビルケナウ 1944年、選別後。

 ※選別とは、生か死かである。
 アウシュヴィッツII-ビルケナウ 1944年、死への道
 クラウシュヴィッツII-ビルケナウ 1944年。ガス室へ連行されるユダヤ人女性たち。
 アウシュヴィッツ第2強制収容所(KL)-ビルケナウ 1944年

 ゾンダーコマンド隊員による大量虐殺の犠牲者の遺体を焼却している様子。ゾンダーコマンド隊員が違法に撮影した写真。

 ※これには考察の余地があると、ポーランド人のガイドさんは言っていた。
 大量虐殺の様子の模型と、犠牲者を火葬する、火葬場IIの炉室の写真。
 大量虐殺に使われたとしているチクロンB。
 ガス室で犠牲者を殺すために使用された殺虫剤、チクロン B が入った缶。

   
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