相変わらず無機質な元兵舎、南棟懲罰棟と管理等の間である。射殺刑はこの一番奥のところで行われたという。 |
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元兵舎北側出入口。 |
この出入り口右側の看板には「化学物質収容所刑務所」、「旧収容刑務所」とある。 |
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上写真の前から西側を臨む。 |
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ドイツの瓦職人の仕事のようだ。
円形の1枚1枚がしっかりと並んでいる。 |
上写真の場所から西側を臨むとともに、管理棟の屋根を見る。しっかりとしたドイツの造りである。 |
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通路の端まできた。
柱には網の扉がある。
電流こそ流れてはいないが、2m50くらいの高さはある。、 |
扉の外に出る。 |
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旧収容所の出入口の建物の所まで。
レンガ造りだと、ビルケナウの死の門を連想しただろうか。 |
ここらの建物をシュルハウスというらしい。
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そう、今思えば向こうに見えている収容所の方まで行けばよかった。
多くの宿題を遺してしまった。 |
さて、収容所出入り口の方から様子を見る。 |
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ここに来るときに、車の窓から見た管理棟である。 |
左を見れは、行けばよかった北側収容所跡地。 |
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ここまで撮るならば、、、 |
管理棟東側の建物の様子だ。
北側旧兵舎の中央の造りに似ている。 |
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入口の道路を渡ったところに軌道敷跡があった。
1本しかない。
近くにツアーで説明うを受けている集団があったので、ビルケナウと同じ仕組みになっていたのだろう。 |
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囚人たちは、この場所の貨物(客車とは呼べない)から降りたのだろうか。 |
軌道敷跡の位置から管理棟を見る。
この景色を見て、中に入ったのだろうなあ。
扉入口の「ARBEIT MACH FREI」を信じて・・・ |
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この施設の解説板である。 |
管理棟入口。 |
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車に戻る。
さようなら。ありがとう。 |
途中にあった解説板。
キャンプ到着と収容所に繋がる道の解説である。 |
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ダッハウ強制収容所記念館
歴史と責任機関とある。
1945年4月からの歴史が語られている。 |