南棟の中を見ることにした。
で、このドアには「入上禁止、立ち入り禁止」とある。 |
 |
 |
個室の入口である。 |
曇りのある、小さなガラス窓から中は余り見えない。 |
 |
 |
隙間から中を覗く。
端に小さなトイレが見えるだけ。
ツートンカラーの壁も冷たさを誘う。 |
入口左側にはスチームがある。
十分な暖が撮れたのだろうか。 |
 |
 |
外を見れる窓側こんな感じ。
狭いなぁ。
プロレスラーのマサ齊藤氏は米国の刑務所に収監されていた時に、狭い空間の中で体を鍛え、ムキムキになった。
ゆきたんくにはできないなぁ。 |
両側に囚人部屋を見て、通路を歩く。
看守の冷たい足音がここに響いたことだろう。 |
 |
 |
直訳です。
「バンカーでの4か月、暗闇での4か月の拘留、そして4日に1度だけ暖かい食事が食べられる4か月」
時間がゆっくりと過ぎていきなす。私は4日に1回だけ数えますが、食べ物が来て目が覚めると驚きます。トランス状態です。
エルビィン・ゴストナー 1938年7月 |
通路の天窓だ。
昼は明るいな。 |
 |
 |
扉の金具を見てびっくり。
人の力では空けられないように金具がついている。 |
1944年 収容所管理局には3つの独房がある。
独房の床面積は70cm×70cmで小甚は座ることも横になることもできなかった。
ここに最大手72時間連続で拘禁されたという。
さらに光と空気が不足していたので、残酷な拷問となったという。 |
 |
 |
配電盤の跡か・・・ |
南棟の部屋配置図だ。 |
 |
 |
棟中央部にある北側の出入口。 |
床はしかりと木を組み合わせてあるが、これはいつの造りだろうか・・・ |

|
 |
文字が読み込めず、翻訳ができません。 |
ここの囚人についての解説である。
何て書いてあるかは解析できなかった。 |
 |
 |
棟の中央より東側には鉄格子がある。
何か映画の1シーンのようだ。
ゆかの様子が違う。
手前は観光用に貼ったものか。 |
管理棟に併設去れた兵舎はSS隊員のための懲罰収容所としてここを造ったという。
懲役、禁固、射殺の刑があったという。 |

|