二抗口の巻き上げ機があった場所である。 その手前にこの写真の中で一番背の高い建築物がある。第二竪坑のエレベーターに乗る場所だ。 低い所に煉瓦の塊が乗ったコンクリートの建築物がある。 この手前にあった選炭機は原型を留めてないぱかりか、何もなかったようである。 |
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巻き上げ機の影に30号棟が見える。 | |
北東方面を見ると、 手前左側にブロワー室という、石炭の水洗機があった建物がある。 |
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貯炭場に立つ、ベルトコンベアーの支柱。 その先には端島小中学校が建つ。 |
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選炭機の奥にあったこのコンクリートの構造物の正体が分からない。 | |
頑丈な煉瓦の塊。 どこに使われていたのだろうか。 |
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再び30号棟を見る。 あの鳥はいるだろうか。 いた(笑) |
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給水塔。 海底水道ができるまでは、これが頼りだった。 |
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3号棟の方に階段が続いているが、これは給水塔の裏に回る道につながる。 ところどころ激しく痛んではいるが、修復する建物の1つに選ばれたようで何よりである。 |
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端島小中学校だ。 やはり7階のダメージは大きい。 |
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特に屋根の落ちているこの部分。 次の台風の時に耐えられるのだろうかと思う。 |
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65号棟と隣り合う学校。 片方が崩れて、その向きが建築物だったら同時に崩壊してしまうだろう。 |
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再び3号棟。 気になったものがあったので写した。 何だろう。 |
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まだ鳥がいる。 のではなくて確認に写した。 |
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この支柱のディスプレイはすてきだ。 | |
浮選機室跡だ。 産出された石炭から質の悪い石炭や残土を取り除くための施設の1つ。 |
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壊れた部分を主福して、外壁塗装をやり直すと、カッコいい学校になりそうだ。 | |
かつて島の南東側ででた泥を、ベルトコンペアでこの穴を通して反対側の海に捨てていた跡。 | |
見れば見るほど悲しくなる。 朽ちて行くのをみるのはつらい。 |
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再び3号棟。 建てている岩盤の色が緑っぽい。 かつてひとが住んでいる時には植物は生えていなかったという。せめて色だけでもと。 |
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端島小中学校の東端。 ここは7階でも崩れていない。 なにかビオトープ的な感じがする。 一方、この一番下の足場はいつ崩れるか分からない状態だ。 |
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先ほど書いた3号棟下の緑のアップ。 閉山後43年経った今でも色が確認できる。 |
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学校と第一見学広場の間の建築物が見える。 この間に、変電所、体育館、四抗揚機などが写っている。 |
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錆びた鉄骨の載っている建物が、扇風機・圧気機室だ。その右にコンクリートが見える。 それが変電所の壁だ。 |
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端島小中学校のの北東部分から3ブロック目とでもいうのだろうか。体育館の角近くの景色。 | |
何度でも見てしまう。 | |
第一見学広場からドルフィン桟橋に戻る時、左に見える遺構。 写真中央の辺りの穴から中は真っ暗だったので、レタッチして見えるようにした。 |
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今回お世話になったシーマン商会さんの島内最後のメニュー。記念写真撮影だ。 マー船長がブログを書いておられる。 これにその記念写真を載せるのだ。ダウンロードもできる。ありがたい。 |
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