さあ、シーマン商会さんの説明会である。
背後には30号棟と31号棟が見える。 |
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手前の仕上工場の大きさから30号棟の大きさを推し量ることができる。 |
軍艦島を襲う高波の様子。 |
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この写真から波の高さが分かる。 |
防波棟の31号棟。
名前の通り、島内に大波が入るのを防いでいた。 |
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閉山から43年間、手を付けられなかった結果である。
もっとも、ユネスコの世界遺産が立ち上げられたのが1972年。閉山が43年。この軍艦島がその対象になるなんて誰が考えただろうか。 |
軍艦島デジタルミュージアムにあった復元された部屋を思い出した。
当時の30号棟の暮しである。
その後購読した本によると、実際に住んだ方は1階にお住みで、島内最古のこの住宅の住み心地はそんなには良くなかったという。 |
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各家庭にテレビがなかった時代、この軍艦島の住民は各家庭にちゃんとテレビがあった。それを示す30号棟の屋上にあったアンテナの写真である。 |
ビールで乾杯の写真が写っている。
30号棟のどの部分だっただろうか。 |
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広角で撮ると、鉄筋剥き出し、中は吹き荒れている様子がよく分かる。
多分台風の到来とともに、この内部の景色も変わるのだろう。 |
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防波棟の31号棟は、海側に廊下を設け、住宅として使っている部分には波が来ないようにされている。強固な壁のように現在も海に対して立ちはだかっている。 |
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30号棟の前には、下請け住宅や倉庫が建っていた。それも基礎を残して、現在では瓦礫になっている。
修復不能な30号棟も同様の運命が待っている。
会えて良かった。 |