第2見学広場から第3見学広場までの通路

 波が激しくぶつかった部分だろう。

 大きなコンクリートの塊が転がっている。

台風時の巨大な50mを超えるような波の重さはとんでもないものだろう。
 これは、軍艦島がどんどん島の大きさを増していった時に残された防波堤の基礎ではないだろうか。

 そうでなければ、このような形で残ってはいないと思う。
 これは島に振り込んだ海水の水抜き穴だと思っていた。

 世界初の海底水道のパイプをつないだ穴だったのだ。長崎半島から端島までの工事であった。当時の海底での作業は10分が限度でそれを超えると潜水病になってしまったそうだ。
 どう見ても大きなコンクリート壁の残骸だ。低い高さの壁よりも面積が広いのである。 
 かつては、このコンクリート達は一つの壁ではなかったのだろうか。

 そして総合事務所の前部分の煉瓦建て遺構と後部分のコンクリート色の遺構が重なっている景色が後ろにある。
 会議室と総合事務所(後ろ側部分)の連結部分だ。
 総合事務所の隣は会議室だ。

その隣は鍛治工場である。

その鍛治工場は天井が抜け、壁が全体の1/2崩落している。
  正面に仕上げ工場がある。
 炭鉱で必要な物の製作や修理を行なっていたそうなので、建物のネーミングがどんなものか・・・

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階には工場員のための食堂と風呂があったそうだ。
  この出っ張りは、旧防波壁の名残りのようだ。

倒れていた防波壁との延長線上にある。
グーグルマップさんから衛星写真をいただいてみた。
  右の傾いた壁は、鍛治工場の手前の壁である。
逆側の壁は完全に崩落している。
 その奥には30号棟が見える。
ただし、立っていられるのは、あと1〜2年と言う話だ。
 手前の瓦礫のような景色になってしまうのだろうか。
 30号棟だ。

 窓は抜け、壁も抜け、鉄筋も剥き出しになって赤く錆びている。
 日本最古の鉄筋コンクリート住宅を見れてよかった。
 島の南西部分である。


 流石に対馬海流の流れに対して一番負荷のかかる部分である。 防波壁の厚くなっている。

 防波壁をさらに補強しているのが分かる。
 仕上工場、30号棟、31号棟、鍛治工場が立ち並ぶ。

 仕上工場の続きにはかつてポンプの試運転場があった。
 また仕上工場と鍛治工場の間には製缶場もあった。
 30号棟の手前には第二竪坑捲(だいにまきざ)という施設である。
 ここに地下抗に降りるケージを昇降させるためのワイヤやーを巻き取ったり、伸ばしたりするドラムがあった。ここの動力は電気だ。 
  鍛治工場の内部。
 仕上工場はこの2倍の大きさがあった。

30号棟の方に、もう一棟くっついている感じだ。
  補強が見える防波堤。

手前にあるのがプールだ。
 中が吹き抜けている。

30号棟と31号棟が見える。
  プールの底に残っている白線。
 プールの端の造り。

   
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