その一で述べた「ある人」との出会いは、まだまだ先のことである。
時は人生のうちで一番多感といえる中学校時代のことである。
 私の通っていた中学校は丁度荒れの最中であった。部活動もあったかどうか定かではない。同好会に近いものだったのではないだろうか。
 そんな訳で放課後はすぐに帰宅するいわゆる帰宅部員であった訳だ。
 時には仲の良い友達と校庭で相撲をとってから帰ることもあったが大体は遊ぶ約束をとりつけ時間と場所を確認したら家にまっしぐらの毎日であった。

 そのころのスポーツとのかかわりは、そう体育の時間は怖い体育教師がいたのでどうにかやっていたが、自ら進んでスポーツで汗を流そうという気は起きなかったなぁ。
 スポーツよりも遊びという観点でよく動いた気がする。
 そう、放課後の遊びの話をしなければね。

 日替わりで、草野球、鬼ごっこ、地域探検をしたり、ゲーセンに行ってたなぁ。
とにかく拘束されたり、厳しいことがいやだから自分たちのペースでできることしかやらなかったなぁ。

 でもね、これが中学校当時に自分が幸せを感じたことなんだ。

 あとね、中学校時代ってのは腹が減るでしょ。遊びとおやつが1セットだったなぁ。下町に生活していたのでね、みみっちいことってあんまりなかったね。家で遊ぶ時は必ずおやつが出るんだけれどね、例えば2人で遊んでいるときに、その家のおばさんがロールケーキを真っ二つに切って、塊のまま出してくれたりね。ジュース飲むのに、ジョッキに2本分ついで出してくれたりね。

 うちで遊ぶ時は、両親が共働きなもんで(もっとも住居の1階が店で2階が住まいだったからそんなに悪いことはできなかったけれど・・・)私が食い物の提供をしたものだ。菓子を出すこともあるが、オムライスやラーメンを出したこともあった。そう、「お前らちょっと待ってろ」なんてかっこうつけてさ、小遣い100円持って豚コマを買いに行ってさ、家にある玉ねぎとご飯でポークライスを作って卵焼きを乗せてケチャップかけた、本格的なものなんだ。ラーメンだって生麺を茹でて出したもんだ。

 こんなことが結構ストレス解消になってスポーツの代わりになっていたのかもしれないなぁ。

 あまりスポーツとは縁のなかった中学校時代もそれに変わる楽しみがあったのは幸せだな。その後調理師を目指した時期もあるのはこの時のことが大きかったと思う。また、後にこのことがスポーツにも役立ったのである。それについてはこのSたんくでいずれアップしようと思う。その後の食とのかかわりは食たんくを見ていただきたい。