今月は9月を表すのに「垢(く)」と言う字を当てました。「垢」というのは煩悩とか心の汚れを表す字であまり良い意味では用いません。敢えてここで使うのは、8月に自分の心が「垢」に染まっていたことを思い知らされた出来事があったからです。身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用(煩悩)に気づかない振りをしていたことに気づいたからです。きっかけは友達との旅行でした。場所は1995年に世界遺産に登録された飛騨白川郷です。高台にある合掌造りの民宿「伊三郎」にお世話になりました。とてもゆったりしとて、時間もゆっくりと過ぎていくのを体が感じていました。白川郷は世界遺産だから敷居が高いのではないかという思いは杞憂に終わりました。宿の女将さんも朴訥とした方で、「気に入ったら、また来ていただけたら…」と気負うところは全くありません。郷土色豊かな料理を振舞ってくれたり、夜外に出ていると蛍が光っている場所を教えてくれたりと何の飾り気もないけれど、輝いて見えるような心に沁みるもてなしをいただきました。 自宅に戻り、旅行を振り返ってふと「命の洗濯」という言葉が浮かびました。よく、ちょっと遊びに行く時に遣う言葉ですが、そんな軽いことではなく、今回の旅行で味わった感覚をそういうのではと思いました。 ゆきたんくが旅行で泊まる時は、必ず朝早くから散歩に出かけます。その時もそうでした。上写真のような風景が旅行のガイドブックにはよく載っていますが、旅行誌に載らないような場所にある農機具倉庫(下写真)も合掌造りなのです。この地方の気候に合わせて根付いた建築文化ではありますが、この農機具倉庫を見た時はさすがに力が抜けました。悪い意味ではなく、「そうだ、これで当たり前なんだ。」と余分な力が抜けたのでした。世界遺産を見世物にして、周囲に豪華なホテルが建っている所もあります。そうしないと観光旅行が不可能な地域もありますが、ここは昔からの自然な生活の中に合掌造りが溶け込んでいる稀有な場所であることを感じました。それはここ白川郷で生活を営んでいる方々の人柄が作ったのではないかと思うのです。 |
巴弛月 垢月 柔月 |