ゆきたんくの第二の故郷は東京の西部、あきる野市にあります。そこに行く時と山梨県に用事がある時意外は西東京には足を運びません。先月に日大文理学部のグラウンドで関東インカレのハンマー投げの試合があるので行って参りました。 その帰りに東大和市にある戦争遺跡に寄ってまいりました。 写真は旧日立航空機立川工場変電所です。前身は大森の東京瓦斯電気工業株式会社で、ここ大和村で日立製作所と合併し、戦闘機のエンジンが製造されたそうです。 零式戦闘機で有名な中島飛行機は地下壕にその製造過程を移しましたが、このように地上にあったがために、米軍には破壊の対象となったのでしょう。1945年(昭和20年)には米軍による3度の爆撃を受け111人が犠牲となりました。 爆撃の跡が生々しいのに、窓ガラスがしっかりとはまっていることや建物内の変電設備が意外にしっかりとしていること。写真ではよく分かりませんが、ガラス窓の奥にあるコンクリート製の階段にも爆撃の跡があること、そして史跡であること。なんかそれらの間にギャップを感じました。そこで調べて見ると、ここは1993年(平成5年)に市の指定史跡となるまで変電所として使用されていたそうです。 ゆきたんくは戦争を経験しておりません。もっとも戦後60年で戦争をしっかりと記憶にとどめている方もご高齢であります。この写真のように当時の様子を伝えることのできる史跡が残されることがこれからの平和教育には必要だと考えますが、日本人は自らにとって都合のよくないこに関しては目をつぶったり、平気で消し去ったりできる得意技を持っているようにも思います。武士の時代に自らの命を持って物事のけじめをつけた名残であるよう気もしますが…。 ともあれ、この史跡自体がその体に残した爪あとをどのように解釈していくかが、今後大切なことであると考えます。珍しく真面目に考えてしまったゆきたんくを留めておきたく、今月の題名を録月(ろくがつ…造語、記憶にとどめたいということで)にしました。 |
娯月 録月 思至月 |