長月  
 9月になります。
 今年は予定になかった旅が入りました。
 3月に知人が亡くなり、5月にそれを知りました。
 すぐにもお墓参りに行きたかったのですが、遠かったので8月にしました。
 場所はドイツのデュッセルドルフ。
 行って帰ってくるだけでは勿体ないので、2020年にコロナ禍で断念した夢の場所に行くことにしました。
 ゆきたんくも、親父の亡くなった歳まであと5年。
どれだけ時間が残されているのかは分かりませんが、悔いの無いように生きたいものです。
 その夢の場所を紹介しましょう。
 まずは「モーツァルトの生家」。
50年待ちました。
 天才モーツァルトのルーツに触れて見たかったのです。
 それを思ったのは12の時。
 童話が童話として聴くことのできない歳になっていました。
 そうです、童話ではなく童話の本です。(さだまさし氏の言葉)
 でも、行けたら行った方が良い。
 ただ、オーストリアとは言え、博物館になっている住宅の中は暑いこと。
汗が噴き出していました。当日の室温は36℃くらいあったでしょうか。
 ドイツでは涼しかったのですが、オーストリアのザルツブルグは暑かったですね。
 入口で記念写真の顔が赤くなっていたり、ゆきたんくの胸元が汗で濡れているのが分かるでしょう。 → Map
 実は中で迷子になってしまい、お目当ての一つ、フォルテピアノを見逃してしまいました。
自筆楽譜や、小さなバイオリン、髪の毛を見ることはできました。
 さて、「モーツァルトの生家」よりも古い夢がありました。
これも2020年にかなうはずでした。
 原色学習図解百科という百科事典があります。
 その9巻は音楽に特化しているのですが、それに付いていた冊子を初めて開いた時のページに「ハイドンの生家」の写真が載っていたのです。
 まだ覚えています。その写真を見た時の気持ちを。
 「行ってみたい。」
 その後、付属EPレコードでハイドンの「セレナーデ」を聴いて好きになりました。
 写真に写っていたのは生家の中庭でした。
 井戸と丸い吹き抜け(現在は扉がついています。)とブドウ棚。
この場所に行きたかったのです。 → Map
 現在生家の中は博物館になっていました。
 ハイドン一家の生活していた部屋、ストーブ、テーブルが残されています。
 他の部屋は小さなコンサート会場になっていたり、ハイドン使用の楽器が展示されていたり、楽譜が飾られていたり・・・
 「モーツァルトの生家」よりも古い夢と書きましたが、ここは54年ですね。
9歳の時の夢です。
 童話を童話として読めた年齢の時に、「行きたい。」と写真を瞬間に思った訳ですから。

 「後10年したら、自分の足で歩いていられるのかねぇ。」と友人と話す年齢になってしまいました。この訪独・訪墺の間に高校の同期が二人亡くなってしまい、遠い地から冥福を祈りました。生きているうちに果たしたいこと、また欲張って増えていくのかとも思います。そう、素直に人生を歩もうと思います。
 さて、おまけと書いては叱られてしまうかも知れません。
今回の旅で最後に泊まった場所が、オーストリアとドイツの国境近くのガストフ・マイヤーブロウというホテルです。
 とても静かな景色の良い街で、ホテルの女性オーナーもとても素敵な方でした。楽しみにしていた朝の散歩、モーニングにも満足しました。
 さておまけとは・・・
 ここは、あのヒトラーの生まれた地でもあったのです。町の意向としては、生家を観光地化はしたくないそうで、ランドマークの印もありませんでしたし、その場所に碑があり、そこにも一言もヒトラーのことはないそうです。
 ゆきたんくがここで書くことも良しとはしないかもしれません。
 でも、ゆきたんくの旅のランドマークにはなりました。
8月 9月 10月