友人と台東区の5館居通入館券というのを購入しての3館目。 書道博物館に行ってきた。 場所は鶯谷。 ナビに案内されて車を走らす。 うん、ラブホテルばかりだな。 どうも、極彩色の入口の建物が増えてくた。 友人は男性なので良いのだが、若い女性と2人きりで車で走っていたら誤解される景色が何度も通り過ぎていく。 そのラブホテル街の中に位置するコインパーキングに車を停めて歩く。 |
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おめあての「書道博物館」の看板を見つけるまでの間、心が落ち着かなかった。この歳になってこんなことは久しぶりのことである。気恥ずかしいこともあるが、この界隈を若い男女の二人連れがいたら目のやり場に困ってしまうではないか(笑)。 → Map |
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4月 | 5月 | 6月 |
その博物館入口の対面には、松岡子規の下宿跡の建物があった。 その名前も「子規庵」と付けられている。 残念ながら、この日の公開は無かった。 丁度1年前に、ゆきたんくは愛媛県の松山市立子規記念博物館にいた。 そこを見学した時のことを思い出した。 より一層ね正岡子規という偉人に近づいたような気がした。 → Map |
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その子規庵の前から後ろを振り返ると、この風景である。 書道博物館入口である。 残のンながら中は写真撮影不可ということで、さだまさしよろしく「心でシャッターを押す」ことにした。 |
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中には様々な事態の紹介や、石に刻んだ文字が中心に展示されていた。 もともとここは日本の洋画家・書家である「中村不折(なかむらふせつ)」氏の私邸だった。 洋画家だった不折氏が書道研究に傾倒したのは正岡子規の影響だったそうだ。子規とは明治28年に日清戦争に従軍記者として中国に行ったことによる。 実は不折の書は現在でも目にすることができる機会が多いことに驚いた。 「新宿中村屋」の看板文字、清酒「真澄」や「日本盛」のラベル、「信州一味噌」、「筆匠平安堂」などである。書道博物館のHPより。 |