さよなら生家

 やっとこれたショパンの生家。
いよいよお別れだ。
 こり表札ぽいのには、「フレデリック・ショパン国立研究所」とある。
 国道580号線、東ワルシャワ、西ソハチェフだな。
 上写真の左側。
「ホテルショパンの看板である。」
 横断歩道の信号である。
そのデザインが可愛いので撮った。
 ピクトグラムだよな。
 日本とは違う。
 国立研究所のカフェの道路側。
 ソハチェフしの地図の案内板だ。
ジェラゾヴァ・ヴォラの西側にある小さな市だ。
 ガラス張りのカフェはかっこいい。
ここでショパンを聴きながらコーヒーを飲みたいなあ。
 移動ちゅうのバスからの風景だ。
このような造りかけの家屋が多く観られたのはなぜだろうか。
 ショパンの歴史、歩みが載っている看板である。
直訳です。
 「フレデリック・ショパンの歩みと歴史」
ジェラゾヴァ・ヴォラの歴史は16世紀後半に遡ります。19世紀初頭、ジェラゾヴァ・ヴォラの領地はスカルビク・D.C.伯爵一家によって購入されました。1801年には、ルドヴィカ・スカルトコヴァ伯爵夫人が個人的に領地を管理し、長男のフリデリック(後にフリデリック・ショパンの名付け親となる)を含む子供たちと共にここに住んでいました。ザラゾヴァ・ヴォラで、プリデリック・ショパンの家族が出会いました。貧しい小屋暮らしの女性ユスティナ(旧姓クジザノフスカ)が屋敷に住み、フランスからの移民ミコワイ・チュピンが家事を手伝っていました。フランスからの移民ミコワイ・ショピンは、スカルビコン出身の家庭教師でした。結婚後、ショパン一家はダレクの離れに住んでいました。 1810年3月1日、そこでフリデリック・ショパンが生まれました。しかし、彼の幼少期はジェラゾヴァ・ヴォラとは関係がありません。なぜなら、1810年の秋には既にショパン一家がパニックに陥り、ワルシャワへ永住していたからです。

   
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