生家

 薄暗い当時の様子を伺える雰囲気である。
 絨毯はトルコ製のものだろうか。
デザインがそう感じさせる。
 座って見たくなる椅子。
その後ろには絨毯がかかっているのだろうか。
 カーテンではなかった。
 ピアノがある。
あぁ、これでショパンは極を作ったんだな・・・

 いや、産まれて7か月までしかここにいなかった。
 調度品もお洒落な造りである。
当時の職人さんが造ったのだな。
 小さめの丸テーブルに、飲み物と本を数冊。
ゆったりできるなぁ。
 ショパンの首像ですね。
何を見ているのだろう。
 ここにもピアノ。
グランドピアノが置いてあります。
 これで2台目
 ショパン生誕の部屋の説明です。
直訳を載せます。」
 「ショパンの時代、私たちが今いる部屋は斜めに二つの部屋に分かれていました。どちらも作曲家の生家と考えられていました。
作曲家の1810年3月1日という日付に加え、作曲家が洗礼を受けたブルフフ教会に残された文書によると、1810年2月22日という日付も挙げられている。日付についても議論があり、初期の伝記作家や親しい友人の中には1800年という説もある。
ショパンの時代には、この部屋は十字に2つの部屋に分かれていました。どちらも作曲家の生誕地ではないかと考えられています。
作曲家とその家族によって示された1810年3月1日の日付に加え、作曲家が洗礼を受けたブロフフ教会で作成された文書によると、1810年2月22日という日付も示されています。また、年についても議論されており、初期の伝記作家や作曲家の親しい友人の何人かは1800年としています
 首像の右側の壁に刻まれていました。
 「1810年3月1日、フレデリック・ショパンはここで生まれました。」
 ここにも丸テーブル。
お茶をする部屋だったのかな。
 本棚。
中には今でいうハードカバー風の本がある。
 丸テーブルに置いてあった本もそのようだった。ひ
 ワルシャワの風景だろうか。
 椅子には木製の背もたれと、肘を置く部分もある。
 暖炉だね。
寒い気候だから大きいのが必要だね。
 大きなグランドピアノである。
黒ばかり見てきたが、この木目を活かしたボディもかっこ良い。
 逆の方向からね。
広い部屋なことが分かる。
 ショパン縁の品が並ぶ。
 これは端にある小さな部屋の真ん中にあった胸像。
 楽譜である。
ショパン直筆だろうか。
 確認すれば良かった。
 まあ、片言英語が通じたかどうか・・・
 肖像画がンラブ。
ゆきたんくが最初に見たのは左から3番目だね。
「原色図解学習百科9巻」でと思って確認したが、左右反転の構図だった。
 フリベルト・ショパンの肖像とある。
ショパンファミリーの展示だ。
 直訳文を載せます。
 「別館にショパンを記念した博物館を創設するという構想は1891年に遡りますが、ショパン生家で展示の構想が具体化され始めたのは戦間期になってからでした。当時、構想はどれも完全には実現されていませんでした。
ショパンの生家には、当時の雰囲気を再現するため、一部に歴史的な家具を配置することが意図されていました。音楽室を含む他の部屋には、歴史的なモデルを参考にした現代的な家具が備え付けられることになりました。ショパンに捧げられた展示は、作曲家とその家族にまつわる記念品で埋め尽くされる予定でした。展示は1949年まで正式には公開されませんでしたが(戦後のミェチスワフ・クジマによる設計による)、ショパンのデスマスクは1930年にすでにここに設置されていたことが分かっており、その後、2台のピアノ、作曲家の肖像画の複製(ドラクロワ、シェッファー、ビソン夫妻による)、ショパン関連のデッサンコレクション、そしておそらく彼の手の型も設置されました。戦前の内装にあった品々のうち、第二次世界大戦を生き延びたものはほとんどありませんでした
戦後の展示では、家具はショパンが生まれた質素な別館よりも、19世紀のポーランドの邸宅のインテリアの当時の概念に沿ったものでした。当時、別館の左側は非居住用として区別されておらず、建物全体に架空の邸宅のビジョンが描かれていました。
現在の音楽室の配置は、音楽と展示の機能を組み合わせた、戦前のデザインに触発されたものです。」
 ショパンの生家の歴史をふり返ることのできる写真の数々である。
 それぞれの部屋に暖房器具がある。
当たり前のことなんだけれど、調度品の趣が考えられている。
 胸像の角度を変えてみると、シルエットが渋い。
 直訳を載せます。
 「オフィスと博物館の歴史…別館と博物館の歴史
 ショパン一家がジェラゾヴァ・ヴォラに住んでいた頃、別館の左側の区画(地下室を含む)は用途が広く、右側の区画は居住空間として使われていました。この展示室では、この質素な別館の歴史を辿っています。19世紀初頭にジェラゾヴァ・ヴォラの領地がスカルベク伯爵家の所有となった時代から、1930年代に荒廃した建物が再建され、博物館へと生まれ変わるまで、その変遷と用途を物語っています。博物館は、フリデリック・ショパンを偲び、敬愛する場所となっています。.」
 フ・ジゥラゾベイ・ボリ公園の説明だ。

ポーランド語は分からないなぁ。

   
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