公園に足を踏み入れる。
小学校低学年のころから憧れていた場所。
あの人達に会える。 |
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これは花時計?
ブルーメンウールというらしい。
19時30分だね。 |
この方に会いたかった。
ヨハン・シュトラウス様。
で、近づきながらの3枚を。
あれ?
自分が本で見たのと違うような・・・ |
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「都市公園へようこそ!」
うん、公園内の案内図だな。 |
時計広告塔シティパークというのだそうだ。 |
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あ、あれは? |
「ハンス・マカルト記念碑」。
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おぉ、あれは・・・
うん、「シューベルト記念碑」。
4枚ね。 |
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暗くなってきたって、もう20時近く。
ヨーロッパの夜は明るいね。
みなさん、のんびりと過ごしている。 |
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「ウォーターフォールシティパーク」ともいうらしいが、どこに滝があるのだろう・・・ |
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アントン・ブルックナー像だ。 |
エミール・ヤコブ・シンドラー像。
ここオーストリアの画かで、情趣的印象主義の中心人物だという。
うん、初耳だ。 |
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何だ。 |
橋が架かっている。
時間の関係で渡らなかったが、実はこの公園は橋で二分されていて、間に「ウィーン・タール運河」が流れている。 |
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再びヨハン・シュトラウス像。
何だろう、この違和感は。
これは帰国後に分かった。 |
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原色学習図解百科に載っていた写真は、このように黒い像だったのだ。
正式名称は「ヨハン・シュトラウス記念像」で、シュトラウスの死後22年後に除幕されたものだという。右写真は黒色時代の記念像といわれるものだ。第一次世界大戦後の1921年に建立されたが、世相を反映していない、贅沢すぎるという理由で1935年に黒く塗り替えられたとのことだ。元の金色に塗り直されたのが1991年とのことである。 |
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ウィーン川手前の広場。 |
インターコンチネンタル・ウィーンのホテルを見る。 |
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ここも公園の出入口の一つだった。 |
この辺りはウィーン川ポータルと呼ばれる史跡なんだそうな。
wikiにはこうある。
ウィーン川の入り口 (3、ヨハネスガッセ通り)。ウィーン河川法(1895-1903)の施行に伴い、1903年から1906年にかけて、ウィーン市のために、アーチ型の河床を離れ、ドナウ運河へと続く開放的な部分に、芸術的にデザインされた開放的な階段のある半円形のシステムが建設されました。 |
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もう20時近くなんだね。
ホテルに戻らないといけない。
夕飯。
あっ済んでいるね。
まだボケていない。 |
「ÖAMTC 支店 シティショップ シューベルトリンク」の社屋と看板。オースト会員になれるって。
そしてここのサービスを使って、自分でドライブするんだね。 |
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「ハンス・カノン記念碑」だ。
19世紀のオーストリアを代表する画家だと言う。
軍人から画家になった方だ。
スラブ系の方で本名をカノン砲からとって名前にしたそうである。 |