修道院

 元々が闘いの勝利を、聖母マリアに感謝することで建築が開始されたのが、ここである。
 この部屋には闘いに関するものが飾られているようだ。
 中世ポルトガルの勝利と独立の象徴とも言われているのだ。
 翻訳してみた。
以下の文はゆきたんくなりに推敲してある。

「祖国の崩壊 ポルトガルのオリヴェイラスの奉納油で永遠に燃え上がりましょう。 無名戦士の浅い墓の隣にあるコインブラの軍事同盟のランプの中で1924 年4月9日にアメリカ陸軍大臣がアクセス、パダベルダ・ディアモエ・ケラ愛国委員会がラピウエを照会した。

 直訳であるが、分かりなくいところがある。
 八角形の中にあるのは、何かの紋章か。
 そう、ここは博物館であるが、展示品の意味内容を把握することが難しい。
 ジャック・マグナと言われるものだ。
直訳してもこれなので、意味が取れないのが残念である。
 無名戦士の墓のある部屋に架かっていたキリスト像が闘いの地から見つかった写真である。
 この像には膝から下がない。
 これも直訳である。
ラレス・バ大聖堂からポルトガルの子供たちの勇気を永続させるエスタシェール記念碑まで。ペレイラ・シルPLAポルトカルへの帰還を開始したクランベ・クエルパ警察パトロール1935年4月9日
第 XIR戦と MCMXXXY 戦で」


 うん、分からない・・・
 これはどなたかのお墓だろうか。
であれば、博物館には相応しくないよねぇ・・・

 蓋に書いてあることを直訳すると
認められたパトラがこの墓を奉献する。」
のだそうだ。
 意味を取れない自分が情けない。
 バターリャ修道院で調べては見つからなかったが、スペインのカセレスのサンタ・マリア大聖堂に似たものを見つけた。
 これは教会の行事に使われて「聖具」と説明されていたものに似ている。
 「マカオが中国に返還される前に、マカオで最後に掲揚されたポルトガル国旗」だそうだ。
 なぜここにあるのだろうか。
 首都のリスボンにありそうな感じがするのだが・・・
 この上下左右の写真は、何に使われていたのか気になる部屋である。
入口手前までは、入口その物が素敵なのだが、部屋の中にはいると、壁が崩れてレンガがむき出しになっていたり、田奈はあるのだが、使われていない様子が伝わってくる。
 ただここも観光コースに入っているので大切な遺構なのだろう。
 セピア色に近い単調な色合いになかにも、一部ステンドグラスの華やかな色彩が見えている。
 そして空気清浄機のような物も置いてある。
 さて一通り中は見た。
後は外に出る時に通る、未完成のチャペルである。

   
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