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旅に出た時のゆきたんくの散歩は朝が多い。 今日は独りぼっちだから散歩することにした。 現在の時刻は19時45分。 ヨーロッパの夏の夜は明るい。 ふと横を見ると、ローマ帝国時代の遺構のようなものがあった。 |
中央広場に行く時に通ったフライッシュ通りよりひとつ西側にあるメッツェル通りを歩く。 どうせ分かっている場所に行くのならば通ったことない道を通りたかったからだ。 ホテル・アウルマンの看板が見えてきた。 |
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ホテルのエレベーターだ。 「Zimmer」とあるのは部屋のこと。 間違えてはいけない。 |
一度部屋に戻ってから出発。 目的地はカイザー・テルメンだ。 フライッシュ通りからカールマルクス・ハウスのあるブリュッケン通りに行きさらに南下するつもりも道は南西に曲がっていた。 あとで気がついたが、カール・マルクスの辺りから道の名称はカール・マルクス通りになっていた。 |
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ラーブという喫茶店、サイゴンというアジア食材店、グル(教祖)という名前のレストラン、ヴィルドという靴の修理屋さんなどの看板が見える。 |
さらに進むと組木造りの家が見えてきた。 そんなことで安心してしまうゆきんたくである。 |
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大きな建物の一部だ。 中庭に当たる部分が道路に面している不思議な造りである。 ホーリークロスという名前の競技場があるようだ。 何の競技場かは分からない。 |
未知が分岐している。 その正面に見える建物はタバコやさんだ。 ここで方面の修正で左(南)に行くことにした。 |
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トリアー市庁舎の西側を歩いている。 道の名前はローレンツ・ケルナー通りに変わっていた。 |
ISSTAS+THEESという名前のエンジニアリングの会社。市庁舎の向かいに建っている。 組木造りの家が可愛い。 |
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市庁舎の角を曲がるとカイザー通りだ。 これでカイザー・テルメンに行ける。 そうしているうちに、直訳「南部大通りの砦」と名付けられた史跡に出会った。 |
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特に解説はなかった。 ただ、トリアーがドイツ最古の都市と言われるのが、古代ローマ人がトリアーを入植地から一つの自治都市に昇格させたこと。 それだけ、この場所がローマ帝国にとって重要な地だったと思うのだ。 |
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トリアーユダヤ人コミュニティである。 建物の造りが周囲のものと全く違う理由は帰国後調べて分かった。 |
日本の旗? なんでこんなところに・・・ と思ったゆきたんくだった。 |
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歩を進める。 いったん史跡ともさようなら。 確かにカイザー通りを歩いている。 なかなかカイザー・テルメンに着かない。 時刻は20時15分である。 これから戻るとしても20時45分の計算だ。 ホテルの玄関は開いているだろうか? |
ホテルに入れないとシャレにならないので、戻ることにした。 カイザー通りから左折し、ユダヤ人コミュニティのあるヒンデンブルク通りに入る。 |
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先ほどと違って道が広い。 写真右手の建物はディスコクラブだ。 |
上のディスコの 先ほどと違って道が広い。 写真右手の建物はディスコクラブだ。ある交差点の西を臨む。 トリアー市庁舎が見える。 |
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道のちょっとしたところにこのような城壁跡のようなものがある。 日本にある野間土手のような感じか。 |
フィーマルクプラッツという広場。 中央広場の倍の広さはある。 ここにも市場が立つのだろうか。 |
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聖アントニウス・カトリック教会である。 空が綺麗と撮ったら、そこにあった像は逆光のため見事にシルエットになってしまった。 教会は飾り気のないゆきたんく好みの造りである。 道の名称はシュトレーゼマン通りに変わった。 地図で見ると、次の通りがフライッシュ通りでホテルアウルマンの近くである。 |
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フライッシュ通りに入った。 この時20時25分。 あと1分でホテルアウルマンだ。 |
ホテル受付に門番がいる訳でもなく、エレベーターに乗って部屋には行けた。 静かで寂しかったのでテレビをつけた。 ドイツ語でよく分からなかったが賑やかで良い。 |
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さて、今晩のお友達。 バナナとゆで卵である。 マヨネーズは無し、マスタードでいただく。 |