康定路に面した、歴史的建築物の横に通りの入り口があった。
入ってすぐに煉瓦造りの当時を偲ばせる風景が目に入った。
康定路173という当時のメインストリートだという。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
この場所の手前部分で映画の撮影が行われていた。
その様子を写真に撮りたかったが、カメラが回り続けていたので、余計な音を立てることを控えた。
ところどころ補強がなされている。
そして観光名所としての施設として完成しているようだ。
案内図が掲示してあり、「展覧場地分配図」とある。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
剥皮寮の剥皮の由来である。
清の時代だったころ、この辺りは中国の福州から船で杉の木材が運ばれ、皮を剥いで加工した場所であったことからついた名前だという。
他説もあるのだが、この木材説が一番妥当だと思う。 万華の辺りは木材の集積地であり、原木の皮を剥いで、丸太にしていたからである。 |