九龍から銅鑼灣

ペニンシュラホテル、日本人は反省  ここは香港島と維多利亞港を挟んでいる九龍(カオルーン)の尖沙咀(チムシャツォイ)である。その南にあるのが歴史の証人と言われているペニンシュラホテル(半島酒店…写真)である。
 1928年創業の世界に名だたる最高級ホテルだそうだ。
やって来たのが、スター・フェリーの船着場近くにあるペニンシュラ・ホテル 半島酒店(右の画像)。
香港でも老舗の最高級ホテルなんだそうな。 日本軍が1941年に香港に侵攻した時に、日本軍が使っていたスパイがペニンシュラ・ホテルに日章旗を掲げたそうだ。そしてそれを見た香港島のイギリス軍兵士の士気が一気に低下したらしい。つまり、当時からこのホテルは香港のイギリス支配の象徴だったわけだ。
 この建物は香港藝術館である。上写真のペニンシュラホテルの前にある。実はこの時は道が渋滞していたのに加えて、疲れが出て眠かったのでボゥッとしていたのだが「おっ何だ」という風景に出くわすと少しだが眠気が覚めて写真撮影とあいなったのである。残念ながらここも立ち寄ってはいないのである。 また、今度行くからね。
このバスも乗っていない。  これも二階建てのバスが近くに来たのでパチリと撮ったもの。パッと見であっ路面電車だと思ったのだけれど運転士(運転手)がハンドルを握っているのを見て、バスだと。相当眠かったのだが、これも自分にぶつかってくると勘違いし、びっくりして覚醒し撮った一枚である。
 とにかく香港で感じたのが、建造物の高さである。どこを見ても高いビルがあるので異国情緒に浸れるのである。しかし、すぐ慣れてしまったのはニューヨークマンハッタンにあったWTCほどのインパクトがなかったからではないだろうか。低いビルもあるのだが、よく見ると日本にあるビルよりは高いのである。 どこ行っても高いねぇ。
今度は広東語覚えて、買い物しよう。  ここは亞土厘道あたりではないだろうか。バスが香港藝術館を過ぎて右折した後に袋小路のような所で止まったが、その少し前の様子だったと記憶している。街角の雑貨やさんとお客さんが楽しそうに話をしているのを見て今の日本が失ってしまった過去の風景のように思えた。
 写真右が香港の有名な百貨店「裕華國産百貨」である。写真左端の少し切れてしまっているが、米印のような看板の下がMTR尖沙咀(チムシャツォイ)駅である。ここでも高層ビルの補修が竹を組んだだけの足場を用いて行われていた。日本人の自分にはなんとも心もとないように見えたのだが…。 この百貨店にも行ってない。
僕、自分で切符買えたよ♪  さて、MTRの券売機だが、日本のものよりもより近代化されていた。日本は液晶画面の金額のところをプッシュするが、ここの液晶画面では行き先の駅そのものをプッシュするのであるから分かりやすい。
 海外旅行は分からないと怖いところもあるが、やはり言葉が分からないのが一番怖いと思った。ここでは自分も文盲に近くもあり言葉(特に広東語)も話せないのであった。
 さあ、電車が入ってくるところである。日本の地下鉄と違うところはまずホームが広い。電車の幅の三倍はあり、それも中駅の形式ではないのだ。そして何よりも清潔感が漂っているのだ。ガムのへばりつきはなし、尾篭な表現ではあるが痰やつばを吐くような者もいなのであろう。 なんて、香港の駅はきれいなんだぁ。
トラムにも乗っていません!  さて、銅鑼灣(コーズウェイベイ)駅に着き、ビルの中を行ったり来たり、さて、長男のオーちゃんが大好きなジャッキー・チェンの経営しているお店(フィッシャーマンズ・ワーフ)を探してうろうろしていたら、トラム(今回の旅ではとうとう乗らなかった)が目の前を走って行くではないか。あわててカメラを向けたのがこの写真である。
 場所は華潤百貨と銅鑼灣廣場1を結ぶ歩道橋の端の辺りである。
 フッシャーマンズ・ワーフに着き(店の写真を撮るのを忘れてしまった。)店を覘くとなんのことない普通のお店である。入り口にジャッキーのポスターが貼ってあるとか、フィギアがおいてあるとかは分からなかった。日本を発つ時から楽しみにしていたオーちゃんのがっかりようを見て、別の店にすることにした。この写真はフィッシャーマンズ・ワーフの角を曲がった処である。(謝斐道) バナナリーフカレーの店が見えます。
漢字の意味が分かりません。 漢字の意味が分かりませんよぉ!
波欺富街の町並みである。