さて「轟の壕」に着いた。
急なコンクリートの階段である。
取り敢えず登る。 |
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登り終わったら広場があった。どこから降りて行くのだろう。 |
リュックと解説のため資料が置いてあることに気づいた。 |
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そのすぐ横をみると通路があるではないか。 |
石で作った螺旋階段のようになっている。 |
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ここもゆきたんくが先導。
若さ復活か。 |
階段の途中にガマらしきものがあるが,奥に続く穴は見つからなかった。
※後に3つある壕の一番最初の入り口だということを知った。 |
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千羽鶴がかけられている。
その横の石には「母しん・・・」と・・・
何だろう。 |
卒塔婆もあるが,字が読み取れない。
ただ,ここでも亡くなった方の霊を慰めてくださる方がいることが形であることが嬉しい。 |
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更に降りると声が聞こえてくる・ |
この小さな穴から聞こえてきたのだ。ここが壕の入り口なのである。
修学旅行の生徒たちが平和学習をしているのであろう。
※後にここが3番目の壕で一番大きい壕ということを知った。入り口が小さいのは爆弾の直撃があったからだそうだ。 |
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ふと横に動くものが見えた。 |
金鶏か。 初めて見た。
※ ここが2つ目の壕の入り口で,現在では一番気づきにくくなっているそうだ。 |
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暗い気持ちで辺りを見る。もしやここが、泣く赤ん坊を日本兵が殺したと言われている場所ではないか・・・
ただ,その話はは伝聞であってどこまで本当なのか。阪神タイガースの松木一等兵の沖縄捕虜記によれば沖縄では大きな墓に避難していた住民を追い出した日本兵の話はあった。下士官がだめだったと思った出来事である。
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また明るい所に出て,気持ちが少し晴れた。
沖縄については,戦時中のことをもっと勉強しなくてはと気持ちを強くした。 |
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さて,帰りの飛行機は15時55分発である。
あと残しているのは「旧海軍司令部壕」である。
現在の時刻は14時19分。あと1時間半あるが空港には1時間後に着かないとまずい。さてどうなるか。 |
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