陸軍病院山城本部壁E

 車で1分ほどだった。次は陸軍病院山城本部壕である。
 結構すぐに見つかった。
 車も停められる。
 壕の名前が彫られた標柱があった。
 壕のある北側には平和教育の施設だろうか。
碑の前に椅子が設置されていた。
 「沖縄陸軍病院之塔」とある、43名の職員と学徒の命が失われた。
 そう言えば,この壕は米軍の直撃弾を受けた壕だ。
 生存者は伊原第一・第三外科壕になどに移動させられた。その後の様子は歴史が語っている。
 生存者の話では,ここから第一・第三に行く時にジャンケンが勝った者が第三に,負けた者が第一に行ったという話があるが,別の生存者の話では違う話もある。
 沖縄陸軍病院の軍医である長田紀春さんが読んだ歌が二編彫られている。
 それぞれに無念を感じる歌である。
 戦いの悲惨さが伝わってくる。
 ここでも我慢できないY氏だ(笑)

これは治らないよなぁ。どうにもならない(笑)
 後を追うゆきたんく( ´艸`)
 2歳若いY氏に追いつけない・・・
 足元が本当に危ない。転んだら怪我は間違いない。
そしてハブにも注意だ。
 途中でロープが張られてあった。
  若かったら中に入ってしまったが,ここでは無理をせずにルールを守ったゆきたんとY氏である。
 中はかなり暗い。この時点で43名も尊い命がここで奪われたことを知らなかったゆきたんくである。もっとも,壕の外にある畑の下にも,まだたくさんのご遺骨が眠っているのである。
 スマホの懐中電灯の光が届かないところにまで来た。当時はこの奥にもたくさんの方々が避難していたのだろう。1945年6月14日の被弾までは・・・
 行きには気付かなかった。戦死」が古い自体で書かれていた石。
当時の物だろう。73年前の物になる。
島尻郡三和村は現在の糸満市南部にあたる。
 壕の外に出た。明るいのは良いことだと思う。

 しかし当時は明るいと標的になりやすかったはずだ。
 体力が無く,暑さに負けそうなゆきたんくである。
あぁ情けない。
 QRコード付きの解説。
まことにありがたい。
 山城豪跡を後にした後に見つけた標柱。

   
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