ひめゆりの塔があるのは伊原第三外科壕。ここはE伊原第一外科壕である。周囲には何もない。お店も無しだ。ただここに来て外科壕の解説の横に千羽鶴があったことに少し気持ちが救われた。献花を買って備えても良かったと思った。ただ枯れた時に後始末をする方かいないなぁ。
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碑の全体像。 第三外科壕は地面から下にすぐにガマがあった。しかしここは降りて行った先にガマがあるのだ。 |
そう,チビチリガママのような感じである。チビチリガマには階段があったが,ここは自然の坂道で急である。シムクガマもまだ緩めだと思う,ゆきたんくであった。 |
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ゆきたんくが碑周辺の写真を撮っている�時に待ちきれず,どんどんガマに吸い込まれていくY氏。 |
これはY氏が下から撮ったゆきたんくである。 足場の悪いことが分かるだろう。石で階段のようなものが造られてはいたが・・・ |
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坂道の途中で撮ったガマ、E
ファインダーの中に横部部分が入りきらない広さである。 |
上写真の左側を大きくして撮ってみた。壕はここから先にあるのだ。 |
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写真の左側にも壕の穴らしきものが見えるが・・ |
シムクガマのように入ることはしなかった。ここをせっかく脱出した人たちも第三外科壕で亡くなったり,その後の激しい戦闘でなくなったりしたのだ。 |
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壕の入り口付近の様子。 |
カメラを構えてはみたが,なかなかシャッターを押せなかった時があった。その様子をY氏が撮ってくれたのだ。 |
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ガマの奥は水蒸気で満たされている。10月1日でこれである。ひめゆり学徒が傷病兵の看護をした時は暑さにうだる5月だった。1年を通して一定�E温度であるはずだよな。 |
ふと足元に枯れた木の幹が。 ゆきたんくには,この木が何か言いたそうに見えた。
伊原第三外科壕と同じひめゆり学徒がここにもいたのだ。ここも是非訪れてほしい。 |
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