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 ついに「ひめゆりの塔」に会う。奥方のりたんが「あたしが行った時は穴だけだったよ。」と言った場所である。
 終戦直後の物資が少ない時代に建立された。そして当時はアメリカ軍統治下であったことでこのような小さな塔しか建てられなかったのである。
 沖縄陸軍第三外科壕跡の標柱。
 伊原第三外科壕の入り口だ。
 慰霊碑である。この裏に納骨堂がある。
「沖縄師範学校女子部一高女職員戦死者」,「沖縄県立第一高等女学校生徒戦死老」の名前が刻まれている。終戦後間もなくに建てられたので亡くなった方全員の名前は刻まれていない。
 壕の西側にある解説。
 これが「ひめゆりの塔。 初めて知ったのは22歳の時。 さだまさし氏の「しあわせについて」を聞いた時である。東宝創立50周年記念映画『ひめゆりの塔のE主題歌である。
 また撮ってしまった壕の写真。
当時ここにいらした方の思いに近づけるように・・・
 これはまくら碑である。
石には「いはまくら」と刻まれている。
 学徒引率教師であった中曽根政善が1946年の慰霊祭で戦死した教え子を悼み霊前にささげた歌である。
 ここで精一杯生きた,そして自分の人生を国のために捧げた方のことを忘れてはならない。 また,「ひEめゆり」だけでなく,日本全国ににここのような所があったこと。原爆然り,大空襲しかり,亡くなった方、お一人お一人の命は同じ重さであることも忘れてはならないと思ったゆきたんくである。

   
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