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 これは良かった。糸数アブチラガマからティダヌチガマへ行く予定だった。その途中で看板が目に入ったのEが「ヌヌマチガマ」である。
 サトウキビの間を走るのは初めてである。
 ♪ザワワァ、ザワワァ、ザワワァー♪
 おおよそどこを走っているのか分からない。旅を振り返る時にその場所を特定するのが楽しみなゆきたくである。
 このような特徴的な景色も良い。
 ふふっ、この写真の場所は特定することに成功。 自慢気に地図を貼ろう( ´艸`)
 見つけてしまった・・・
こういうのをを見つけると・・・
車を停めるしかないゆきたんくである。 お墓だろうねえ。


 暑さでグロッキーなゆきたんくは車に残り,元気なY氏が写真撮影である。
 元気なY氏。
 大戦当時、現地の方、軍部の兵士がここを避難所に使ったと聞くが、比較的頑丈にできている感じがする。
 木造家屋では爆撃に対しては頼りなかろう。
 そんな中で目に飛び込んできたのが「ヌヌマチガマ」の看板だ。車で通り過ぎてしまったので写真には収めなかったが、この時は「ガマ」と聞いただけで涎を垂らす2人である( ´艸`)
 迷わずその方向へ・・・
 戦争遺跡公園か。このような形で遺すことは大賛成である。目をつぶるのではなく、しっかりと見なければならないと思う。
 NPO法人が管理しているのは良いことだ。
ただ、管理の権限に関しては,紆余曲折があったようだ。
 「ひめゆり」だけではない。
「白梅学徒隊」の物語りもあったのだ。
全部で21の学徒隊があったと聞いている。
 ヌヌマチガマの入り口に立つ標柱。
 現在は舗装された通路が設けられている。
 ここも事前予約が必要なようだ。次回への宿題となったヌヌマチガマである。
そして首里城で買ったご当地ドリンクがゆきたんくの命をつなぐ・・・
 それでは、また来る日まで。

   
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