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 先ほどの写真の続きである。この右写真には天井と地が鍾乳石で繋がっているように見えるところがある。
 こり石の左側を通らないと奥には行けない。また狭くて実に歩きにくい。
 読谷バーチャル平和資料館によると、シムクガマの総延長は2570mあるという。1000人の人が入れる訳である。
  ここはゴツゴツとした岩肌であるが人々が憩いの場所として過ごすこともあったという。しかし大戦中は避難壕としての役割を担っていたのだ。
 上2枚の写真は、字波平の避難民の目線。
左の一枚はアメリカ軍の目線と見立ててよいだろう。今から72年前、確かにその事実が存在したのである。
 さて、一通り見たつもりで出口近くまできた。 そこで後ろを振りかえってみた。
 何か碑がある。
 英語を話せるハワイからの帰国老である比嘉平治(当時72歳と比嘉平三(当時63歳)2人の碑である。「アメリカーガー、チュォクルサンド(アメリカ人は人を殺さない)」と、荒ぐぐ避難民たちをなだめ説得して遂に投降へ導き1000人前後の避難民の命が助かったのである。
 この事実を知ってから、同じ読谷村で800mしか離れていない2つのガマで対照的な出来事があったから「チビチリガマ」と「シムクガマ」を訪れたいとY氏が言っていたのである。
 さらに奥を調べようとしている外国の方である。
 ここは真っ暗だが、ガマ入り口の方から光が入ってくることがわかる。
 さあ、海外からのお客様がまだガマの中にいる。ゆきたんくとY氏は次の目標に向かって移動しなくてはならない時がきた。
 ガマ入り口の方で水が流れている。この水が生活用水として使われていたのだろう。
 さあ、草むらに気をつけて戻る。ハブが出るかもしれないからだ。

   
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