浦上天主堂の西側にある公園だ。
天主堂と公園の間の通りはアンジェラス通りだ。そう、鐘の名前が付けられている。
公園の外壁には「長崎の鐘」の楽譜が刻まれている。
ナガサキ原爆が元で命を落とした、永井隆博士が執筆した随筆だ。 |
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歌手の故藤山一郎氏が歌われていたのを聴いたことがある。
詞はサトウハチロー氏だ。 サトウハチロー氏は実弟の節氏をヒロシマにより被爆死している。
そして、節氏探しに行った。宿屋跡も突き止めたが、遺骨・遺品は一切見つからなかったそうだ。
それから4年後の1949年(昭和24年)歌謡曲「長崎の鐘」はできた。
作曲者は古関裕而氏である。戦時中は自らの作品で戦地に送られ戦死した人への自席の念を持ち続けていた方である。
氏によれば、「長崎の鐘」は長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌だという。
この両氏の合作なのだ。 |
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ナガサキの姿を残す、旧浦上天主堂鐘楼。 |
天主堂の前の石垣が気になった。
調べてみたら、旧浦上天主堂は1914年(大正3年)完成よりも前の旧スラ紙村山里の庄屋屋敷の石垣として造られたものだそうだ。できてから200年は過ぎている。
秒速250mの原爆の爆風に耐えた上に、倒壊の心配はないという。 |
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