ここも6年ぶりの山王神社である。
そう、この浦上街道の標柱がある狭い道を左折すると被爆ケヤキが待っていてくれる。 |
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長崎における第一の街道であり、当時の著名人が往来したという。 |
この辺りを被爆当時坂本町と言った。
この町の人々の受難の碑である。
その概要については下の写真をクリックして見ていただきたい。 |
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助かったのが1家族だけ・・・ |
山王神社は地域の人々の復興の意欲と活力を与えたという。 |
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写真をクリックして見ていただきたい。 |
いつからだろう。
解説版は有難い。 |
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写真がいまいち・・・ |
被爆クスノキは夫婦岩のように見える。
注連縄も張られている。 |
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枯れ木同然だったクスノキが頑張っている。
人々はそう思ったという。 |
このような石が飛んでくるという原爆の威力。 |
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こんな石が飛んでくるなんて・・・ |
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枯れ死してしまつた部分に樹脂を流し込んでそれ以上傷まないようにしてある。 |
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被爆したクスノキの真ん中あたりに穴がある。
6年前は、透明なカバーがついていた。
そしてそれが良く見えるように照明がつけられていたが、今回は網が張られていた。
しっかりと石が残っているのが分かる。 |
神社に上がる階段を挟むように、2本のケヤキは植わっている。
その2本に渡すように注連縄が張られている。 |
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神社境内のボックスの中にあった被爆の様子を撮ったモノクロームの写真である。 |
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6年前はケヤキを見て終わりだったのだが、本殿まで足を運ぶことにした。 |
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黄昏時の神社は静かである。
狛犬の顔も、穏やかなようにみえる。 |
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また下まで降りてきた。
またいつの日か。 |
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