北側から

 正面の白っぽい建物が、端島小中学校の校舎だ。
この学校出身者に音楽家の岡崎律子氏がいる。
その右側には島内で一番大きい住居棟の65号棟が見えている。
 乗っている人たちは言葉一つ発しない。

そんな時間があった。

ここに来たい。みんながそんな思いであったろう。
 写真左が65号棟。右側手前の小さな建物は「みどり荘」という教職員の宿舎。その後ろに69号棟「高島鉱業所端島病院」がある。
 すぐに目についたのは、端島小中学校の最上階が崩れていたことだ。

 これではこの建物も時間の問題なのかと思っていたが、帰宅後調べたら建て増しの部分で構造上弱いところがあるようだった。一応鉄骨で増築されているが、端島が海から受けるダメージを考えたらしょうがないのだろう。 
 6階から下の部分は壁もしっかりと残っている。
最上階の7階部分は鉄骨が剥き出しで、赤く錆びているのが見える。
校舎まで届くような大きな波、台風の通り道で強い風を受ければ、耐えきれるものではないだろう。
まして、1974年の閉校から43年経過している。その間手が入っていないのだ。
 みどり荘は波の直撃を受ける場所にあるが建物のディティールはしっかりと残っている。
 船は北側から少しずつ西の方に周回している。

写真の大半を占めているの65号棟。

この棟の屋上に幼稚園があった。
 カメラを少し左に戻す。

69号棟の病院の裏側が見えてきた。
この辺りに霊安室があったという。

防波壁はアマカワで作られた部分が見えてきた。
 また船が北側に少し戻っている。

ゆっくりと景色を見れるサービスをしてくれている。

 端島小中学校の窓が吹き抜けになっているのがよく分かる。
 これは、住居の日当たりが悪いため、せめて学校にいる時にはたくさんお日様の日が当たるようにとの思いからの造りだそうだ。

   
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