眼鏡橋は2回目である。
1回目は駐車場が見つからず、路駐して短時間で取材した。
今回はコインパーキングがいくつかできていたのでそのうちの1つに止めて優雅に写真を撮った。 |
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この角度の眼鏡橋。
階段も写って、身近に感じる。 |
前には気づかなかった「近藤昶次郎(こんどうちょうじろう)」顕彰碑。
海援隊・亀山社中で活躍した人物で、新撰組よろしく勝手な行動は切腹ということで人生を終えた。
龍馬は不在だったようで、自分がいれば死なせなかったと泣いた人物。 |
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奥の七面山が入るとまた雰囲気が変わる。 |
さて、夢中で撮影中の相棒のY氏。
この時は耳が聞こえないようです(笑) |
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旧袋町に架かる橋ということで「袋橋」と名前が付いた。架橋以来流失したことがない。 |
袋橋の解説である。 |
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いろいろな距離・角度から撮った眼鏡橋。
川に写る影もなかなか一つのアクセントになっている。
風の吹き具合によってもまったく違う。 |
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これも前回は拝見することができなかった。
眼鏡橋の産みの親というべき人物。 |
さて、上の方で身近と書いたが、下に降りてみることにした。脇が歩けるようになっているのは精霊流しのためだろうか。
この中島川は大波止(出島)の方まで続いているので、ここは精霊流しの場所なのだろう。 |
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ここを降りる時に、石と石の間をフナムシがゾロゾロと走っているのを見たことがある。
うーん、そうだ、平戸市役所前のアーチ橋(幸橋)だった。
この時は出なかった。
まあ、12月だからね。 |
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ここ眼鏡橋で記念撮影ができて嬉しいなあ。
テレビや写真で見るものだと思っていた時代があったからだ。40歳になるまでのゆきたんくは、基本出不精だったのである。
さて、欄干から覗いてみる。
橋の橋脚の出っ張りに硬貨が乗っている。
旅人が遊びとして考えたのだろう。
ゆきたんくは・・・・・・・・やった(笑) |
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さあ、今日の宿は大分である。
名残り惜しいが、眼鏡橋にさらならをする。 |