東山手町

 ついに来たオランダ坂。

そう、「絵はがき坂」だ。

 初めて聞いてから35年は経っている。
 この辺りはかつて外国人居留地だったという。

 外国人の居留地と言えば「出島」だけだと思っていたゆきたんくだった。

 そして現在では伝統的建造物群保存地として明治期建立の姿を見せてくれるのだ。
 さだまさし氏のファンならば、この「活水」という字を見ただけで嬉しくなってしまうはずだ。

 ゆきたんくは随分と感激した。
ちなみに「活水」とは流れている水。
生きている水という意味だ。
 歴史については、下の写真に載っている。

クリックして大きくしてみてほしい。
 「新観光百選の地」の標柱が建っている。

ということは「旧・・・・・・・」もあったのだろうか。
 オランダ坂でボースを取るゆきたんくとY氏。
 坂右上にポケットパークのような場所があった。
奥に見える建物は長崎市立梅香崎中学校。
 振り返ったら活水学院の校章が目に入った。
 東山手十三番館。
 東山手洋風住宅群の中の1つだろう。
 洋風の造りは、長崎でみた建築物に似ている。

もっとも、これができてから50年後のことだが、寒い分おそくなったのだろうか。
 ん?

見た。

ハートだった。

そう、蔦でできたハート。
何のために…
 13番館を後にして、先に進む。

 いったん外に出たら、13番館の横を舐めるようにして上に上がっていくので゛ある。
 この写真の右手に見える水色の建物が13番館。
 突き当たりに見えるが、この道は続く。

その突き当りの下の方に見える建物が東山手12番館。
 12番館の前まで行き。左を見ると活水女子大学の門と守衛室がある
 東山手12番館の手前は車止めが柵替わりになっている。

そして建物は「ラッセル同窓会事務所・ラッセル記念館」になっている。
ちなみにラッセルというのは、活水学園(創設当時は活水女学校)を創立した人物。
 こんなところで境界標柱。

「十三番」という文字が彫ってあるのが見える。
 その標柱の下のタイルにはこうある。

「この石標柱は長崎居留地時代の遺構です。大切にいたしましょう。」長崎市教育委員会。

 ゆきたんくの住む松戸には、陸軍の境界標柱がたくさんあるが、このタイルのような但し書き等は見たことがない。呼びかけてみようかな。
 黒ずんだ石と赤煉瓦の間を通るが寂しくてしょうがない。
 遺構との出会いは楽しい。

「品、田、地境」。

「まち」 
 いいねぇ。
 鎮西学院は1881年に・・・
 現在は長崎市から北東に21q離れた諫早市に移っている。

 そしてここでもキリスト教宣教師であり、外国人のCSロングが創設者である。
 少し歩いただけでも、当時海外への玄関だった長崎を伺い知ることができる。

日本人であるならば、長崎の勉強をもっとしなくてはならないと思った。 

   
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