今となってみれば、本当に勿体無い話であるが、この当時私は旅行というものに興味を持っていなかった。ある場所へ行き、そこの名勝を眺めなんて「どこへ行ってもワンパターンだねぇ。」なんて感じだ。 この写真もそう。中央の人物は女房の親友(お顔掲載の承諾をとっていないのでモザイクでございます。)であるが、この方の右肩の横にある木の棒が原樹を支えているのである。右のつっくん(ゆきたんくの次男)の後ろには「大日比夏みかん原樹」についての説明書きがあるのだが、ろくに目を通しもしなかったのである。この家の表札も見てはいるのだが、普通の名前であるので「なんだ民家じゃん」という認識で、この地に「わが国の夏みかんの原樹」といわれる木があり、それが史跡と天然記念物に指定されているなんてちっとも知らなかったという自分の浅はかさを確認する思い出となったのである。 |
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さて、上の記事をアップしてから数日後、自室で写真の整理をしていたら、ある一枚の写真が出てきた。古びた袋に入った写真である。整理し切れなかった昔の写真を入れた袋の中にあったのである。 なな、なんと大日比夏みかん原樹のしたで撮影したゆきたんくの写真だったのである。 写真であれ、言葉であれ記録したものについてはすぐに整理しなければ、記憶の器から漏れてしまう典型的な例であろう。 さて、この写真を見ていろいろと思い出した。確かいたく感動して「この原樹がなければ、日本人は夏みかんに出会えなかったんだぁ。」と思い、畏敬の念で合掌した写真を撮ったのである。そして仰々しく飾られていることの多い類のものが一民家によって守られていることも親近感を感じさせた。(ちなみに上では「なんだ民家じゃん」と書いてある。いかにゆきたんくがいい加減な人間かばれてしまった。) |