前に来た時も思った。
中は照明がないので薄暗い。
でも、創建当時のことを考えると、この位の方が神社の中は熱を持たないだろう。
現代の条理で考えると、腑に落ちないことはいくらでもあることだ。そしてそれは自分の歴史に対する不勉強からきている。 |
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祭神の祀られている本殿に着くまでの廻廊から中庭に当たる部分に池が見える図である。
しかし、これは実際には池ではなくて海である。
潮の干満によって、池になったり庭になったりする造りである。 |
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この4枚の写真は「鏡の池」である。
しかし、廻廊の下で海の水が出入りすることで干満する。 |
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満潮時はこんな感じだ。
池である。 |
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干潮時はこのようにそこが見える。
東回廊から見た大鳥居だ。
鳥居から神社まで、まっすぐの参道が見える気がする。 |
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東回廊から北東を見ると、五重塔が見える。 |
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五重塔は墓である。
誰の墓なのだろうか。 |
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参拝入り口のところの右側にある祓殿だ。 |
本社社殿にある祓殿だ。
なかなか広い。
お祓いの儀はどんなものなのだろうか。 |
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平舞台につながる廊下。
ゆきたんくたちは2本あるうちのもう一方にいる。 |
中央にある祓殿の角からの眺め。 |
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能楽屋が見える。
この神社は、常に修復をすることで前提として建てられているのだそうだ。
この能楽屋の隙間の開け方を見れば納得がいく。
(と書いておいて・・・他の神社の能楽屋と比較してはいない。) |
高舞台の前で。 |
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神社の建物を支える柱は、木製でもコンクリート製でもしっかりと貝たちが着いていた。 |
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大鳥居である。
屋根の部分に大きな玉砂利が入っているそうだ。
その重さでしっかりと立っていることができるそうだ。 |
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このお姿は狛犬ではないなぁ。
やはり唐獅子に近い。 |
正面に左楽房と左門客神社が見える。 |
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能楽屋の北側は小さな砂浜がある。
ここから水の中に入って涼を取っている人たちもいる。 |
順路に従って西廻廊に入る。
大国の神社前には醤油の缶や酒樽がたくさん奉納されていた。
バンドたまの知久氏が歌う「ヒガシマルうどんスープ」の会社はここ広島県の隣のまた隣の兵庫県にある。 |
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この天神社の造りも風の通りがよくできている。 |
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反橋。 てっきり太鼓橋というのかと思ったところに反橋である。
調べたら、対抗のように丸く反った橋を太鼓橋というのだそうだ。
同義語だね。 |
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さあ、能舞台である。
何かどこかで見たことがあるような。
そうだ、岩手県の中尊寺の奥にある白山神社の前に、能楽屋と能舞台があった。 |
反橋側から見た天神社だ。 |
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その反橋のフォルムは綺麗だ。
橋の下に水が満ちているのを見たかった。 |
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神社の池部分を鹿が歩く。
右の写真なんか、自然の中にいる鹿のように見える。 |
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いよいよ神社参拝も終りの時刻が近づいてきた。
ここをまっすぐ行くと出口に出るのだ。 |