そう、宮島と言えば鹿であ
初めて宮島に行った時は、松大汽船の入り口でいきなり土産の紙袋を思いっきり引っ張られてびっくりしたことを覚えている。
注意しながら進むゆきたんくであった。 |
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鹿の気をひこうとする観光客がいたが、ゆきたんくはその様子をカメラに収めるだけで楽しかった。 |
こんな姿も可愛らしい。 |
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これはカッコよいなと思った一枚。 |
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容赦なく照り付ける太陽。
気温はどんどん上昇している。
まっすぐに参道歩くのは命取りである。
テントが張られている土産物の通り(今では参道商店街である)を歩くしかあるまい。 |
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先ほど、宮島と言えば鹿と書いた。
そう、杓子を忘れていた。
その歴史は創建時593年の厳島神社の歴史と比べれば随分と新しい。
18世紀松に修行僧の「誓真」が島民を救済するために、厳島神社の参拝客の土産に杓字の作り方を教えたのが始まりだそうだ。
夢に弁財天が現れ、その手にされた琵琶の形わ元に杓字を作り、島民に伝えたという。 |
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宮島表参道商店街の途中にある大きなしゃもじだ。
宮島の大杓子として展示。
長さ : 7.7m 最大 : 幅2.2m 重さ : 2.5t
材料は樹齢270年のケヤキだという。
製作者は宮島細工協同組合のべ300人だ。宮島の人たちの気概を感じるではないか。. |
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およそ300mの参道商店街が途切れた時に、大鳥居のお出ましであるが一つ前の角で再び海辺に出た。
帰りにどこに入ろうか。
もらった割引券と引換券でいただくもみじ饅頭が楽しみとか頭の片隅で考えながら先に進む。 |
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「二位殿龍燈」と刻まれている石灯篭。
二位殿とは平清盛の妻、平時子のこと。
壇ノ浦の闘いで、平家が源氏に敗れた時、三種の神器とともに孫の安徳天皇を抱いて海に身を投じたとされている。
時子の屍は宮島の有浦に流れ着き、島民が時子を供養するために神泉寺に阿弥陀堂を建てたそうだ。
そこでは時子の木像を祀り、位牌もあったそうだが、現在では光明院にあるという。
この石灯篭の場所も2回以上は場所を移されているそうだ。 |
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壇ノ浦から宮島の有浦(石灯篭の建っている辺り)までをグーグルマップさんに地図を借りて結んでみた。西から東にこのように流されたのだろう。 |
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さあ、大鳥居だ。
記念写真を撮る人たちが多い。 |
これは厳島神社石鳥居だ。 |
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下から見上げた石鳥居。
なかなか荘厳である。 |
千畳閣(豊国神社)の土台になっている石垣。 |
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参道で左右一対になっている灯篭。
正式な灯篭だろう。 |
さあ鹿の登場だ。
幾分大人しい鹿である。
そうしたら、記念写真のカメラマンのアシスタントをしていたのだ。 |
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カメラマンの指示で、ポーズの練習。
右下にある写真のポーズを、観光客が並んだあとに取る練習をしていた。 |
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さあ、しっかりと写真は撮ってもらった。
記念なので、ココフカメンバー3人で1枚買った。
出来た写真は商売ものなのでここでは使わないことにする。 |
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大鳥居、じまさんとゆきたんく、じまさんとお父さん、あれっ
お父さんとゆきたんくの写真がない。
きっとじまさんのカメラだな。 |
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よし、狛犬、じゃない。
よく見ると唐獅子ではありませんか。 |
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さあ、神社の入り口だ。
約束の入場券を写真で記録に残し、いざ参拝である。
よく見るとやっぱりじまさん大きいや。 |
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じまさんとお父さんの写真。
写すのは名カメラマンのゆきたんくだ。 |