北部砲台跡

 日清戦争当時に設置された芸予要塞は芸予諸島の北の大久野島と南の小島の2カ所であった。そしてここには8門の大砲が設置されていた。
 右写真は浸水しているトンネル内の地下掩蔽部(えんぺいぶ)だ。
 ここには3つの掩蔽部がある。どういう使われ方をしていたのだろうか。

 下写真には砲台を止めてあったボルトがしっかりと残っている。
 陸軍関係の遺構には、境界標柱もそうであるが、施設周囲部分も御影石で作ってある。
 掩蔽部の中に入ってみた。身を隠す役割は十分に果たしていると思うが、どのような使われ方をしていたのであろうか。
 上写真は内部が球の内側のように造られており、コンクリ壁の厚みもあることから弾薬庫と考えられる。
 右写真は砲台跡である。12p速射カノン砲が置かれていた。