ここ光明院には一茶双樹記念館で初めてその名前を知った秋元双樹の墓がある。赤城神社の別当祈願所であった真言宗の寺院だそうである。 | |
名前は何であったろうか。その昔、手紙代わりに使われた木である。ようするに葉っぱをとがった物で引っかくと字が浮き出る性質を利用したのだそうだ。 | |
ここには有名な枝垂桜があるという。この日は咲いていなかったが、近くに小さなやつがあったので撮影してみた。 | |
秋元双樹の墓である。そもそも秋元双樹というのはどんな人物だったのだろうか。 お酒が飲めない人に好んで飲まれた白味醂で財を築いた人で、下総国流山の俳人でもあった。宝暦7年(1757年)生まれ。 |
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これは文化元年(1804年)9月1日、流山の秋元双樹家で一茶と双樹が詠んだ連句の一つだそうだ。 ・豆引や跡は月夜に任す也 双樹 ・烟らぬ家もうそ寒くして 一茶 昭和53年(1978年)10月29日、「第二回双樹忌」にちなんで建立されたそうである。 |