発掘調査より  

 和洋学園の第2次調査概報の図版よりの複製である。学園の正門より正面奥に当たる部分を北東から撮った写真である。
 上写真東側を上から撮った写真である。方位は北が上になっている。
 上写真北東コーナーを北側から見た写真である。右上の窪みが弾薬庫跡、中ほど、少し左の出っ張りが教導団神社跡と推定されている。
 弾薬庫跡(推定)を拡大して見た。東側よりの撮影である。国府台の戦争遺跡の資料や本などで目にすることの多い写真である。今回は駒見教授からカラー写真右上を見せていただいた。
 調査概報に細かい調査と考察がなされているのでそれを下に黄色字で載せたい。
 これは教導団神社跡と推定されている所である。
 内方0.75mの方形区画の周囲を2重の煉瓦が取り囲むことにより、1.2m四方の方形を呈していたと考えられる。合計25個の煉瓦が残存していたが、抜き取り跡及び破片の存在から、本来は33個の煉瓦で構成されていたと推測される。煉瓦は23p×11p×6pの長方体で、刻印などはない。煉瓦の下層は、2層のコンクリート層となっていた。厚さ約5pの軟質コンクリートの上面を厚さ約1.5pの硬質のコンクリート層が覆っている。煉瓦意外の遺物は検出されていない。