今や写真でしか見れない戦跡  

 文化史料館受付では、写真の是非を聞いただけであるが、撮影した写真をホームページで公開したい旨を告げたら優しそうな学芸員の方が、「是非やっていただきたい」ということで貴重な資料を頂いたり、発掘された資料を見せていただいたりした。今や校舎の下に隠れて見えなくなった戦跡に会うことができたのである。
 右写真は弾薬庫跡と推定されている遺構である。半地下式で防湿設備を持っていることからである。
 大学の駒見和夫教授からいただいた資料「下総国府台U」によると、旧陸軍遺構は明治18年に陸軍教導団歩兵大隊が移転してからのもので、教導団歩兵・砲兵大隊関係と推察されるそうである。遺構の性格は明らかではないが、遺構の様子より考察・推定されている。
 教導団神社跡と推定される(右上写真)、兵舎などの巨大基礎工事跡(下写真)、