6月になりました。 梅雨の始まる季節です。 戦争遺跡好きのゆきたんくにとっては、あまり良い季節とは言えません。 緑豊かではありますが、草木によって戦争遺跡が見えづらい状況になります。 でも、旬の冬だけ活動するというのもつまらない話です。 今の季節には、今の季節だけの顔があるはずだからです。 という訳で、「所沢陸軍飛行学校狭山飛行場」の史跡を見てまいりました。 その帰りに、ゆきたんくの第二の故郷、東京都あきる野市(旧秋川市)に残されている、旧東京都立秋川高等学校の跡地にあるメタセコイア並木に会ってきました。直線距離で10㎞しか離れていなかったのです。 そして敷地跡には入れないのですが、かつて部活動の先輩にダッシュさせられた350mのメインストリートがあり、その両脇に立つメタセコイアに会うことができました。高校の校木でもある生きている化石のメタセコイア。 もう懐かしさで一杯です。 |
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さて小旅行の目的は戦争遺跡でした。 その中から一つ紹介しましょう。 圏央道近くの道沿いにあるコンクリート製の建造物です。 すでに調べられた方々はおりますが、これが何であるかはネットでも記述がありませんでした。 ただ、ゆきたんくの記憶の中に、鹿児島の知覧を旅した時の景色がありました。知覧平和公園の中に、残されている「着陸訓練施設跡」に似ていました。 → Map |
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飛行機を接地させる最適な高度を体感させる施設の一部です。 飛行機は両翼と機体後方の三カ所の車輪で三輪同時に接地させる3点着陸を身につけるためのもので、近くの櫓(やぐら)からワイヤーを引き練習機を滑車で滑らした訓練をしたそうです。 → Map |
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