クラクフ通り

 聖十字教会の正面の出入口から外へ出た。
出てすぐ右側にはスタシツ宮殿があり、その前にはコペルニクスの像がある。
 聖十字教会入り口に立つ像である。
 十字架を背負っている。
 去り際に、教会の角地の柱を撮った。

直訳すると「教区アシエザ宣教師」とある。
 この像の立っている扉の上部に
 「SVRSVM CORDA」とある。
 これはラテン語で「心を高く上げよ」ということだ。
 スタシツ宮殿前のコペルニクス像。
しっかりと左手には天球技が握られている。
 観光案内の直訳です。
 「旧市街1100 m、聖アンナ教会900 m
風刺画博物館700 m、大統領官邸550 m
文化遺産省500 m、美術アカデミー100 m
三つの十字架広場1100 m
シャルル・ド・ゴール将軍のロータリー850 m
フレデリック・ショパン音楽大学720 m
ワルシャワ蜂起広場550 m、小児病院300 m
ノヴィ・シフィアト大学250 m
 さあ、聖十字教会を後にする。
 このベンチは凄い。
観光のアイテムの一つとしては秀逸だち思う。
 このボタンを押すと、ショパンのピアノ曲が流れるのだ。残念なのは、この写真のベンチのは壊れていて音楽が鳴らなかった。
 ショパンの住んでいた家ね。
 直訳です。
 「この家で彼は暮らし、創造した。
 住んでいたのは、フレデリック・ショパン。
 ショパンは1830年にワルシャワを去る前に作曲をした。」とある。
 クラクフ通りの「クラクフスキエ・プシェドミエシチェノース・シティセンター
 ワルシャワ大学正門。
 ワルシャワ大学は、ヤギェウォ大学と並ぶポーランド国内トップレベルの名門国立総合大学である。
 正門の上の意匠。
 ワルシャワ大学の奥に見える、「カジミエシュ宮殿」。
 さて、道なりに北西に向かう。
目標は「ザムコビ広場」だ。
 ワルシャワ大学博物館だ。
 馬が3頭かな?
ヨーロッパ何感じがする。
 避難集合場所の看板?である。
 左上の記事の翻訳だ。
 「私の人生で最も重要な日が、私の誕生日だと考えています。私の人生における行動は、実家とクレチマル高等学校(ヤン・ジャビンスキ)で受けた進歩的ヒューマニズムの教育に由来する、ある種の精神状態の結果であり、今も変わりません。
 「ヤン・フランシスケ・ディオニジ・ジャビンスキは1897年4月8日、ワルシャワで生まれました。後年、彼は人生で最も重要な価値観を学んだ平和で豊かな家庭が、その後の人生全体の基盤であったと、しばしば強調しました。ヤンの父、ユゼフは弁護士であり、ポーランドチェス連盟の初代会長でもありました。彼は息子を、開放的で実証主義的な価値観の精神で育てました。父からヤンは絵画の才能、勤勉さ、そして行動における几帳面さを受け継ぎました。

 「母、ヘレナ(旧姓ストシェンシェフスキ)は地主の家の出身です。彼女は息子に文学の才能、周囲の世界への関心、そして何よりも自然への情熱を伝えました。彼女は将来の動物学者である息子にとって、最初の、そして最も重要な教師であり、動物の世話を教えました。

 「幼少期、ヤン・ザビンスキはミハウ・クレチマル・ギムナジウム(ロシア分割後初めてポーランド語で授業が行われた学校)に8学年通いました。この学校は非常に進歩的であるとされ、生徒たちに包括的な成長の機会を提供していました。1914年6月24日、ザビンスキはマトゥーラ試験合格を証明するマトゥーラ証明書を受け取りました。
 右上の手紙の写真?の翻訳だ。
 「出生証明書 計量記録に基づく
                  ヨレファ・ゲラン・ブリグレイ・A・クリマルキング

 右下部分の翻訳である。
 「生まれた日こそが、私の人生で最も重要な日だと考えています。そして、私の人生における行動は、家庭とクレチマル・ギムナジウム(ヤン・ジャビンスキ)で受けた進歩的な人間教育によって形作られた、ある種の考え方の結果であり、今もなおそうあり続けています。
 ヤン・フランチシェク・ディオニジ・ジャビンスキは1897年4月8日にワルシャワで生まれました。彼はよく、人生で最も大切な価値観を学んだ平和で豊かな家庭が、彼の将来の礎を築いたと言っていました。
 ヤンの父、ユゼフは弁護士であり、ポーランドチェス協会の初代会長でした。彼は息子を寛容で前向きな価値観に焦点を当てるように育てました。ヤンは父から絵画の才能、勤勉さ、そして細部への注意深さを受け継いでいます。母ヘレナ(旧姓ストジェシェフスカ)は裕福な貴族の出身でした。彼女は息子に文学の才能、周囲の世界への関心、そして何よりも自然への情熱を伝えました。動物の扱い方について最も多くを教えてくれたのは母であり、これは後に動物学者を目指して勉強する上で大いに役立ちました。
 ヤン・ザビンスキーは、ロシア分割後初めてポーランド語で授業を行うミハウ・クレチマル・ギムサリウムに通いました。この学校は、多方面にわたる発展の可能性を提供する非常に進歩的な学校と考えられていました。1844年6月24日、彼は中等学校卒業試験合格証明書を受け取りました。
 ティシュキェヴィチ・ポトツキ宮殿の入り口だ。
 すぐお隣がヴィジトキ教会だ。
この建物の奥に羅ある修道院はポーランドで最も古い修道院らしい。
 上写真の左端に鎮座しておられた。
「ワルシャワのステファン・ヴィシンスキ枢機卿の記念碑」だ。
 こういうのを見ると、すぐにヨハネパウロ二世を想起してしまう。
 短時間の中で、中を覗いてみる。
ロココ様式の建て方だそうだ。
 屋根の色が鮮やかなたてものである。
様座な業種がここにもはいっている。
 目線を右に向けるとまたまた重厚な建物。
ホテル・ブリストル・ワルシャワという5つ星ホテルだ。
 クリスマス付近は、入り口も賑やかで良いものだ。
  おぉ、この右側の建物は「ワルシャワの大統領官邸」だそうだ、そして左側は「ラジヴィウ宮殿」だ。
 広場の中程のモニュメントは「ユゼフ・ポニャトフスキの記念碑」だ。
 のちにナポレオン1世の下で将軍として活躍し、元帥となった軍人だそうだ。
 これが「ワルシャワのカルメル会教会」だ。
 表示板があるが、「アダム・ミツキェヴィチ」氏の像だ。ポーランドを代表する国民的ロマン派詩人だそうだ。
 先だって観光したヴァベル大聖堂の地下室に安置されている。
 この角の建物は「ウェスロー宮殿」だ。
バロック期建築である。
 このカフェは、「Green Caffè Nero」で直訳すると「グリーンブラックコーヒー」だ。
 ショパンが、よくここでコーヒーを飲んでいたそうだ。
 うん、かっこいいなぁ。
 「アダム・ミツキェヴィチ」氏の視線でまっすぐに見ると、ワルシャワ大劇場の入っている家屋が見えている。随分と大きい建物だ。
 さきほどのカフェをアップで。
 あのまどからショパンが・・・
と思うと、、、かっこいい。
 横から見る。
あぁ、4階建てだったんだ。
 聖十字架教会と、旧市街との距離の2/3暗いきたかな。
 「学術聖アンナ教会」の三度の屋根もが見えてきた。
 写真の連なる建物の右端が「カザノフスキ宮殿」で、左にカフェ、さらに左でポーランド料理店。
 手前右側から「中央農業図書館」、「学術聖アンナ教会」だ。
 遠くの真ん中に「ワルシャワ聖ヨハネ大聖堂」の緑色の屋根が見えてきた、広場中央にな立つ石像も合格く。

   
Copyright Yukitank All Rights Reserved.