城の裏側

 昼食も終わり、バスへの集合時間まではまで少しあったので、城壁内で見逃したものがないか戻ってみることにした。
 鬼礼賛は相変わらず絶好調である。
 城壁から降りてきた階段。
 見上げてみた。
また登るのはむつらいなぁ。
で、やめた。
 ふり返って目に入ったのは「カモンイスの記念碑」との再会だ。
 カフェ・スナック・バーのおいしそうな看板。
 また奥にある教会まで歩を進める。
 建物の入口の意匠の意味は・・・
 「氷の追跡」とは・・・
 サンタ・マリア教会を正面から臨む。
 下写真はサンタマリア広場の解説。
直訳しましたが、意味が取れません。
一応のせておきます。
「サンタ・マリアまたは聖母のカタ・アウリマ・ジュレージャXVII 軸受データと学校塗装 (1676 年屋根裏部屋、ジョーのルネッサンスの書物を強調)2-ペロウリーニョ記念碑 国立博物館の記念碑ナシエD. マヌエルと女王の国でD. レオノール・ダ・ランドストレ3-CHARARIT DA VILA DU DA PRAÇA DE SANTA MARIA 構造的でマニエリスム的な建築 16 世紀に D. カタリーナ女王の命令で建てられた、給水用の 2 つの注ぎ口を備えた噴水アルプルドゥトのペレム水域ヴィレッジ エルカド141年、広場(市場)の建設が行われ、コムファ・ペト・ラットD.ジョアン1世に与えられた。3-ソーラー・ドス・アボイン土木建築、マニエリスム既存の建築物を基にして、19 世紀半ばに D. ジョアン ヴァムの命令によって建てられました。 XVII 貴族アボインが腐敗者を歓迎するにふさわしい威厳を持つように。 KK世紀には、CTT林業の適応工事を受けました。PRACA DE SANTA MARIA または DOS BRITO PEGAD からの E-ソーラー土木建築、フォルマータ、ボロッカ 16 世紀から 17 世紀への過渡期に建てられたブリト ペガド家の邸宅は、1782 年に D. マナ女王と O. ペドロ 3 世王妃を迎えるために使用不能になりました。 20 世紀に画家エドゥアルド マルタの邸宅が改修工事を受け、現在は市立博物館となっています。7年前のカントリーホール民間建築、マヌエル建築、マニエリスム建築。クヴィルの端にある Бачем и Peço do Conelha は、16 世紀にカドリアで改造された 14 世紀の施設に道を譲りました。 19 世紀以降、さまざまな用途に使用され、1970 年には市立博物館に、そして最近ではアビリオ デ マトス エ シルヴァ ミューズに改装されました。オビドス村セントメアリーズスクエア国定記念物 ベデ 1951 1951 年以降の国定記念物カタリーナ女王の治世下で建設されたオーストリア聖マリア教会ツアー レコ、エナノス・マネニット、ゲローク・テクチャーの女性おそらく12世紀に建てられた16世紀と17世紀の建物には、ジュード・デ・ノローニャの墓石やオビドス・アン・ヌースのゴイント・キャサリン礼拝堂のタイル張りの建物(196)などの重要な遺産があります。2
-ピロリー国定公園R政治行政と司法の建築。10世紀初頭のメヌエライン・ルルトは、主権の象徴として、ウィング・マニュアルとランカストルのレオノール女王トウィンの噴水 聖マリアの噴水 インフラストラクチャ、メネリズム建築10世紀にカタリナ女王の治世に建てられました。水道橋の水が供給された2つの噴水口を備えた裏噴水です。4-ビレッジマーケット(ポーチ)1411年に広場(市場)が建設され、ジョアン王から自治体に寄贈され、19世紀に工事が行われた後、10世紀に再建されました。S-ABOINS MANOR HOUSE 土木建築のマニエリスム様式。初期の建設では、16世紀半ばに国王の命令により建てられ、貴族のアボイムが翼を歓迎するにふさわしい住居を持つようにしました。20世紀には郵便局の設置のための改修工事を受けました。6-聖マリア広場またはブリト・ペガド邸宅/博物館 土木建築、マニエリスム建築、バロック建築16世紀から17世紀にかけて1782年に建てられました。マリア1世女王と20世紀にパドロ3世の王妃の邸宅として改修され、画家エドゥアルド・マルタの住居となった。現在は市立博物館となっている。7-旧市庁舎/博物館民間建築、マヌエル建築、マニエリスム建築。14世紀末には市庁舎が建てられ、16世紀と17世紀には監獄として使われていました。19世紀以降は様々な用途に使用され、1970年には市立博物館となり、最近ではアビリス・デ・マットサ・シルバ博物館となっています。
 教会前の下から教会を見上げる。
 尖塔がある建物の正面入り口。
木の扉が歴史を感じさせる。
 正面ファザード側の装飾である。
中央はマリア様の像のようです。
 教会左サイドの景色。
 教会の白い壁、飾り気を感じないが、ステンドグラスを仕込んであるだろう窓、年季の入った石畳。

 うん、いいね。
 周囲を歩いてみる。
 ドア上の意匠にも歴史を感じる。
12世紀に建てられたのだから800年くらい経っているのだね。
 鐘楼の塔もしっかりとまっすぐ立っている。
250年前に東日本大震災級の地震に襲われているポルトガルだが、この教会にはダメージがあったのだろうか。
 大きなものは、1531年と1755年に起こっている。
 人で賑わうオビドス。
これを当たり前と思ってはいけない。
 災害や戦争がある国では味わえないものだ。
 この階段状の石田畳に目をとめることができるのもそのおかげだろう。

 この境界標柱のようものにも意味があるのだろうな。
 店先で日向ぼっこ。
あぁ、自分はここしばらくの間日向ぼっこなんてしたことはない。ただ、日本の夏は暑いからね。
 路地も味わい深い。
そして1階分高くなった正面は店の入口か。
 アズレージョの技術を生かした陶器だなに。
 今度は太めの目印(先ほど境界標柱と例えたものより太い)。なんだろうな。
 路地の下り側。
一回目に通った時に、店を見つけた場所だ。
 タイル生産者だね。
 また逆がほわ。
店への出入りがあったようだ。
 下写真はさびれたソフトクリームの看板?

 と思いきや、ごみ箱であった。
 ここも前に通った。
壁を塗ったベムんきの色がアズレージョを思わせるのだから、見事な統一感である。 
 横を見ると「聖ペテロ教会」が目に入った。
 質素な感じの教会だ。
だんだん惹かれて近づいてしまう。
 正面入り口の上にある意匠もシンプルで良い。
 鐘楼から覗く、青銅の鐘がかわいい。

塔の窓がまた、小さく区分けされてヨーロッパだと思う。
 歩いていたディレイタ通りを見る。
旅に疲れた子どもを抱っこする夫婦がいたが、それも絵になる。
 うん、美術館である。
看板が良い。
 これも一回目に見たね。
 門の所まで戻ってきた。
なんかホッとするなぁ。

 あっ、移動だ。

   
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