さて、この五百羅漢日本のいたる場所で見ることができるが、ここの漢字が好きだ。
このように散らばっているのを見ることができるのは壮観である。
一人ひとりの表情をゆっくりと見ている時間はないのが残念だった。
五百羅漢を過ぎると延命地蔵尊や閻魔洞がある。
武蔵は毎日これらを見ながら霊験洞を往復したのだろうか。