熊本城の見学も終わり、霊厳洞へ迎う。
宮本武蔵が亡くなる2年前の1643年から五輪の書を執筆したと言われているその場所だ。
左は霊厳洞近くにあった武蔵の像である。
平成15年になって有志で建てられたものであるが、自分の描いていた武蔵像とは異なるからである。
しかし地元の方々の思い入れは伝わってくる。
武蔵像の前で何かが乗り移った「お父さん」である。
実は、このお父さんは武道家なのである。
本人曰く、武闘派ではないとのこと・・・
この絵が自分の中にある武蔵像である。