かつては農地が島の土地利用の中心だった。平和な農民生活を営んでいた大久野島である。しかし、当時は大久野島神社という名称ではなかったようだ。
毒ガス工場開所(昭和4年)のおり、従業員たちで社殿を改修して、「大久野島神社」と改称し、昭和7年に現在の地に移転したという。