自分たちで

 今回は友達と横須賀に来たゆきたんくである。で、猿島でどのように動くかは決めていなかった。「どうにかナルベー」といった感じね。
 左側のアーチ状の屋根がついているのは「猿島資料展示室」である。
 正面の建物は「猿島発電所」である。
 発電所の近くに行く。
 軍事的なことは電気が大切だからね。
 発電所全景。
そりゃあ、中に入れないよね。
 説明版だ。
クリックして大きい写真でみていただきたい。
 なんだかんだいって堅牢に造られている。
 発電所と煙突の間から覗く。
建物側に窓がある。
 「猿島資料展示室」に足を運ぶ。
猿島高角砲台跡(昭和期)に観留守遺物、横須賀の赤レンガの関する説明があった。
 当時の職人の印だろうか。
 発電所の建物の外にあったもの。
 中には入れないようだが、扉が開いていて中を覗くことが゛できた。いや、盗撮だな・・・💦
 風通しをしていたんだね、ラッキー。
 これが東方向からの発電所の全景である。
 かわいい発電所とはここでお別れである。
 この後案内所に戻って、ガイドさんのお世話になる。
 さあ。いきなり切通になった。
しっかりと水抜き穴もある。
 これは「ハンドホール」。
「マンホール」ではないのですね。
と質問をしたら、人が入れる大きさだから「マンホール」、これは手を突っ込める大きさだから「ハンドホール」というそうだ。
 木を利用した樋かな。
 再び切り通しである。
 この時は、地面が舗装されていて歩きやすかったが、要塞当時はどうだったのだろうか。
 切り通しの面に無数の穴が開いている。そしてその外側を金網が葉ってあ・
 要塞現役当時の機能はあったのだろうか。
 ひれを馬鹿にしてはいけない。
 ここはなんぞや。
 ブラフ積みと呼ばれる横浜市周辺で見られる石積みだ。
 さて、司令部として設けられたとのこと。
 「猿島要塞…要塞とは、外敵を防ぐための防御施設です。猿島の要塞は東京湾目の守りを固めることを目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。すべての施設が岸壁を振込んで造られているので、島の外からは、まったく見えない構造になっています。
 さて、露天掘りの幹道を歩いてみましょう。幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。小恋のあるのが兵舎で、窓の無い部屋は弾薬庫です。弾薬庫のすみには、 真上の砲台に弾薬を運ぶためのも のと思われる井戸のような穴が開ています。
 さらに進むと幹道はドンネルに入ります。トンネルの壁悲沿いにも、壁を揃込んで二階建てのようにら作られています。これらの部屋には兵舎湯弾薬庫の他、病室や司令部だと考えられます。数々の工夫がされた見事な要塞ですが、関東大震災で一部が崩壊したことや飛行機や長距離砲が急速に発達したことにより、実戦で使われることはありませんでした。
 その後猿島は第二次世界大戦中に軍施設して復活しましたが。砲座や監視所などは新たに作られ。赤レンガの要塞は意をいれられることなく、現在まで残されたのです。
 これは兵舎跡だ。
外側からだけだと。弾薬庫にも見える。
 中に入れたらいいなぁ、という淡い期待はすぐに消えた。しっかりとした金網が張ってあったからだ。
 ここはトイレ跡た。
 ここも兵舎である。しっかりとレンガ造りである。
 三番目の兵舎跡があると思われたが、その正体は弾薬庫である。兵舎から近いなぁ。

ここに階段がある。
 この階段の先に127センチ砲台跡がある。
 さて切り通しを振り返る。
兵士が休息を撮る場所としては、切り通しが安心感を太くしている気がする。

   
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