ゆきたんく

 当時、樵夫、草かり、農耕作人の外は一切関所手形がなければ通行ができなかった。 これは伊香保温泉に出入りする当地客が対象で、江戸からの子宝の湯と宣伝されて婦人客が多かったので、「入鉄砲に出女」の詮議が厳しく取締られたという。